マガジンのカバー画像

気ままに生きてる話

75
日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
運営しているクリエイター

#言葉

自分のスキルと重い槍

 Xを眺めている。朝、起きてからすぐと、夕方から夜、サラリーマン業が終わってから帰宅した後の、だいたい1日2回くらいだ。時間としては朝の方がやや長いだろうか。自分からの発信は少ないものの、タイムラインの流れはそれなりに速いから挨拶ついでに眺めているだけでも色んな人の言葉が目の前を過っていく。  noteも眺めている。これも朝と夕方、主にパソコンの前に座っているのがその時間帯なのでXと同じタイミングで、chromeのタブを行ったり来たりしながら、こちらはある程度能動的に読みに

言葉について考える

 ある人は自らが発する言葉を自分自身であると語り、またある人は言葉は液体だと語った。なるほど己が内から言葉が生じたときその言葉は紛れもなく自己そのものの一部または全体を示すものであろうし、人によって解釈が、また時代とともに言葉自体が様々に変化・変容するとか、善意であれ悪意であれ時おりそれが『沁みる』などといったところを捉えると、確かに液体と呼ぶこともできよう。  言葉、というものについて考えたとき、そういえば私は(自分にとっての)『言葉』というものについて、明確な答えをいま

言葉は伝わりにくいものだから

 ちょっとだけ損をしているなあ、と思う。『言葉』という表現方法を選んだことについて。  ノベリストであることがイヤだとか、後悔しているという話ではない。  ではどういうことかというと、絵や音楽の場合にはそれを見たり、聞いたりした『一瞬』である程度の良し悪しや、合う合わないが『直感的に』伝わるのに対して、小説などの『言葉』を用いて表現される芸術・作品、そこに内包された感性や主張は、『読む』という工程を経なければ伝わらない。難解なテーマ、技巧を凝らした表現などの場合はもう一歩踏み