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自分のスキルと重い槍

 Xを眺めている。朝、起きてからすぐと、夕方から夜、サラリーマン業が終わってから帰宅した後の、だいたい1日2回くらいだ。時間としては朝の方がやや長いだろうか。自分からの発信は少ないものの、タイムラインの流れはそれなりに速いから挨拶ついでに眺めているだけでも色んな人の言葉が目の前を過っていく。

 noteも眺めている。これも朝と夕方、主にパソコンの前に座っているのがその時間帯なのでXと同じタイミングで、chromeのタブを行ったり来たりしながら、こちらはある程度能動的に読みに行ったりコメントを残したりなどしている。記事はもちろんだが、記事に対して他の人が書いたコメントも、なんとなく目に入るので、なんとなく一読している。幼い頃からドラクエのバトルメッセージ表示速度を最速にして遊んでいたので、短い文なら目に入った瞬間にだいたい読めているから、感覚としてはまあ、眺めている。

 前から不思議に思っていたことが、ひとつある。主にフォロワー数の多い、影響力のある人の発信に対するレスポンスに見られるが、返信者のほとんどが、同じような構文の返信をしているのは何故だろう――という、素朴な疑問。その構文というのは、だいたいこんな感じだ。↓

《発信者の名前》さん、おはようございます!(挨拶)
《発信内容》、大事ですね!(同意)
私もがんばっていきます!(決意表明)

場合によっては『気付きをありがとうございます!』(謝辞)も付く

 順番が入れ替わったり、多少増減したり、発信者と返信者の関係性によっては同意の一行で終わったりもしているが、まあだいたいこの形を成している。それが悪い、というつもりは全然ないんだ。ただ、発信者が変わっても返信者が変わっても、どういうわけかこの形に収まっている文章が目に付くものだから、純粋に『なんでだろう』とね。

 とつの型を定めておけば意見や主張を適度に織り込みつつも言葉選びに悩まなくていいし、一回一回のコメントにかける時間が節約できる。それも、ほとんど誰でも簡単に。一日のうちで自由に使える貴重な一瞬、なるべく素早く手際よく、とは誰でも考えることだろう。けれども自分を『型』に嵌めるのに慣れすぎてしまうと、今度は抜け出すのが難しくなる。決まったパターンでは通用しない場面というのが、人生に一度や二度くらいは訪れるのではないかな。

 った話題や人に合わせてうまく会話する……コメントするのは、これまで私が思っていたよりは、難しいものなのかもしれない。そもそもの知識、読解力、発想力、距離感を間違えない力、気配り、ひとつまみのユーモア。そして、それらをなるべく齟齬無く、きちんと伝えるだけの語彙と文章力。思いつくまま列挙してみるだけでも、多くのスキルが要求される、気がする。そこまで考えて話したことなかったから、気がつかずにいたけれど。

 求されるすべてのスキルをレベルアップさせるのは……上昇の実感を得るのは、たぶん難しい。スキルのレベルアップ技能水準向上というだけで辟易する人もいることだろう。けれど、そう難しく考えることもない。日々の言葉を今より少しだけ丁寧に見つめていれば、借り物のパターンとは別の『自分』という型も、できてくるんじゃないかなと思う。そのためにはまず相手の言葉、その言葉を通して画面の向こうの『人』を想像するところから、始めるのがいい。

 たとえば、挨拶を返すかたちをとりながら、自己主張がメインになったりしていないかな。使い慣れた定型文を投げ込む前に、忙しい中でもほんの少しだけ、相手のことを考えてみる。秒単位の心遣いも『おもいやり』じゃ、ないかな。

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