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高校時代の先生は変わらずテキトーでいらっしゃった

まだ心は今年の3月あたりにいるのに、暑さが無理やり8月に気づかせてきます。前回のnoteからそろそろ半年が経とうとしてるようで、久しぶりにログインしています。

私は自分のことをよく言えば“インドア”、別名“出不精”な人間だと思っていたので、2020年からの行動制限に対して禁断症状が出るようなこともなく外出の少ない生活を続けていました。

でも、少しずつ世の中の物理的な動きが活発になってきた今年、なんとなく自分の中でやろうと思ったことは片っ端からやっていこう精神が生まれてきたようです。2023年の上半期カレンダーアプリを振り返ると、世の中の動きに釣られてよく動いたいた私が見えました。

この前は、高校の先生に会いに行ってきたので、今日はその日記を残します。

ミルクティーじゃなくてブラックコーヒーを

6月に仕事でたまたま高校時代の教科担任を見かけて声をかけたところから始まります。運よく覚えていてもらえたことが嬉しく、また必ず伺いますと話してその場は終わりました。(脱線しますが、先生って記憶力すごい、あと全然歳を取らない)

後日改めて訪問すると、先生のいる部屋に通していただきました。私の母校ではなく先生も異動していたので初めて入る校舎に少しそわそわした気分。先生が出してくれたコーヒーを飲んで、あ〜当たり前だけど年重ねたなと感じました。リプトンのミルクティーばかり飲んでいた高校時代から考えると、ブラックコーヒーを飲むだけで大人になったような気持ちになります。

私が行く途中で買っていたローソンのスイーツと、先生が用意してくださった美味しいお店のシュークリームを食べながら高校卒業後の7年の話をしました。

昔の私と今の私

先生曰く、私は昔と少し違うとのこと。でもそれは変わったのではなくて、本来の私を出すのが上手くなったんだと思うと先生は言っていました。自分では全然気づいていなかったのですが、先生の話を聞いていると確かに思い当たることも。

先生たちがいる研究室に入る私は、何かに怯えて自分の言葉一つ一つに緊張していた、と先生。自分では全くそんな気持ちはなかったと思うのですが、確かに今より人の目は気にしていたし、自分の態度や行動が成績にどう関わるかも気にしたし、何より波風立てずに平和に生活したかったと思います。だから何かに怯えた姿で写っていたのかもしれません。

多分女子大に行ってそういうのがなくなったんだとこのnoteを書いて思います。共学と女子大、高校と大学、地元と県外、違う要素満載の場所に4年間もいたら、高校時代のままでは生きられないよなと思いました。

先生は、自分はよく記憶を捏造するからもしかしたら違うと思うことは沢山あるけど、あなたに感じたその印象は捏造ではないと。よっぽど私は怯えて張り詰めた表情していただんだな、高校時代のわたし、お疲れ様!

来年の秘密計画

生活の中で割と話題によって話す相手を変えていますが、自分の人生について考えていることや立てている計画って関係性が近くなればなるほど言い難いことありませんか?私にとって、そういう話をする相手として、先生のポジションは最適でした。なので話を聞いてもらうことにしました。

自分がこの1年で何を考えたのか、来年何をしようと考えているのか、今の仕事はどうか、次の仕事はこれをやってみたいと思っている、住む場所は次はここが良い、でも最終的にはここが良くて、、、そんなような話をしました。話す過程で、自分てやっぱりこうしたいんだとか、諦め悪いなとか、怖気付いてるかも、改めて気づいたことも多々ありました。

先生は心配の感情を多分私には抱いていなくて、いつも全肯定してくれる人なのですが、昔も今も変わらない先生のスタンスに救われた気がしました。誰か1人でもいいねと言ってくれると、実行するのが怖くてもなぜかできるような気がします。まだ来年の計画を伝えた人は3人しかいないのですが、先生を4人目に選んだことでさらに自分への良いプレッシャーをかけることができたなと思います。

5人目に伝える相手はもう決めました。
年末あたりに来年のこともnoteにできたらなと思っています。

先生はやっぱりちょっと変わっていると思う

先生は自分のことをよくテキトーだからと言います。確かに他の先生と比べると、言い切らないというか自分はこう思ってるけど人それぞれだからさ〜と話を締めることが多くあります。テキトーというよりは、縛り付けない余白があるような感じ。他の先生も素敵な先生ばかりでしたが、この先生はやはり何かが違いました。

私が想像する‘’先生像“には当てはまらず、でも先生で、30歳くらい離れた大人なんだけれど大人でも子供でも無いような、不思議な方です。先生のいうテキトーさがその不思議さを生み出しているのかわかりません。

テキトーという言葉は、どこか投げやりな悪いイメージがあるかもしれません。でも、自分でも気づかないうちに無意識に求めていた言葉をすんなりくれて、背中を押してくれて、帰ってくる場所を作ってくれるのが、テキトーな先生なのであれば、私はそのテキトーは無くならないでほしいなと思います。

2023年、また

来年の計画を実行する前にもう一度会いに行きます
それまで変わらない先生でいてほしいなと願っています
先生が変わらずテキトーでいらっしゃって、本当に良かった。

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