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どこへだって行かれる

東京は、街どうしが近くて電車賃も安いなとつくづく思う。
ここいいな、行ってみたいなと思った場所にはたいがい30分かそこいらで行けてしまうし、電車賃はたいてい往復1,000円以内に収まる。いや、500円程度で済んでしまうことのほうが多いかもしれない。

加えて今のわたしの家は、地下鉄・JRともに駅から歩いて10分程度の場所にある。

兵庫県の実家に住んでいた頃は、馬鹿高い私鉄の最寄り駅まで徒歩20分、JRの駅までは車で10分ほど。
もっとも近い繁華街である三宮に出るだけでも新快速で30分、往復の電車賃はおよそ1,500円もかかった。だから、片道一時間もかかる大阪や、往復で3,000円が吹き飛ぶ京都なんて、用事でもない限りめったに行くことはなかった。

そんな当時を思うと、ほんとうに夢のような立地である。

国分寺にある有名店のパンケーキが食べたいな。
そう思って調べてみたら、休日ダイヤの電車を乗り継いで40分弱で行けることがわかったので、予定のない連休の中日に出かけた。

12:45にお店につくと、この先しばらくは予約で埋まっているので次の案内は14:20になるのだという。
名前を告げて店を出ると、駅のほうへと足を向けた。すると大好きな100円寿司の看板が目に入ったので、うれしくなっていそいそと入店。

テーブル席が空いてますので、と案内されてしまったので、家族連れやグループのお客に交じって、ひとりでどっかりと腰かけた。
サーモン、はまち、まぐろユッケ。土用の丑をスルーしてしまったので普段はたのまない鰻も注文し、これで今夏も安泰と息をついた。
お寿司が大好き。三食お寿司でもいい、と思う。とはいえ、ほとんど回転寿司とスーパーのお寿司しか知らない身ではあるのだけども。

ぺろりと6皿たいらげて、腹ごなしに本屋へ行った。
最近、図書館にはよく足を運んでいたけれど、そういえば書店へ出向くのはかなり久しぶりのことである。ずらりと並んだ新刊がまぶしくて、どんどん呼吸が浅くなるのを感じた。なんてすばらしいワンダーランド。

後輩が誕生日プレゼントに電子の図書カード(なんと今はそんなものがあるのです)をくれたので、ずっと欲しかった随筆と小説を買うことにした。
ふと思い立って児童書コーナーへ向かうと、ここのところ狂おしいほど読みたくてたまらなかった本が並んでいるのを見つける。子どものころ、すっかりセリフをそらんじてしまうほど何度もページを繰ったスウェーデンの児童書たち。

ここで出会えたのも何かの縁と、シリーズ三冊をすべて抱えた。
大人になれてすごくうれしい。にこにこしながらレジへ向かった。ほんとうはスキップしたかった。

ちょうどよい時間になったので、ふたたびパンケーキ屋に向かった。
名物らしいブリュレのパンケーキを生クリームトッピングで注文し、先ほど買ったばかりの随筆をひらく。武田百合子『ことばの食卓』。

ここのところずっと、彼女の『富士日記』を読んでいるせいもあって、その文章の運びかたの違いにおどろいた。
タイトルの通り、だれかに読まれることを前提とせず、目の前にあるもの・その日起こったこと・感じたこと・食べたものなどが淡々とつづられた『富士日記』とは違って、『ことばの食卓』はものすごくきちんとしたエッセイだった(こんなすごいお方に「きちんとした」なんていうのも失礼な話だけども)。
前者の奔放な魅力を知ってしまったからこそ、ちょっぴりよそゆきな随筆スタイルもまた愛おしく感じられた。文章の端々から、人柄の魅力があふれてやまない。

20分ほど待っただろうか、ついにパンケーキがやってきた。
想像していたよりもひと回り大きいサイズの分厚いやつが二枚重なっている。こんがりと焦がされたブリュレのカラメルがなんとも心にくいではないか。

何かと「甘さ控えめ」がもてはやされる昨今だけれど、パンケーキの上にのっかったブリュレはきちんと甘い。
とはいえ、コンビニやスーパーのスイーツでたまにある、つーんとした人工的なやつではなくて、誠実でただしい甘さ、という感じ。

かりかりのカラメルと、とろーんとしたクリームによる食感のコントラストもまた愉しい。
肝心のパンケーキはというと、きめが細かく、さながらスポンジケーキのようなふわっとした口当たりがすてきだった。
巷で話題のむやみにとろけるやつとは違って、どっしりと食べごたえがあるところも良い。たまごのふくふくとした香りが、幾度もぷんと鼻をついた。

お寿司をたらふく食べたあとだったので、さすがにおなかがいっぱいになってしまい、腹を庇うようにして店を出た。駅までは、まっすぐ一本道だ。

活気あふれる駅ビルの中を歩きながら、もうわたしはどこへだって行かれる、と強く思う。
「行かれる」というのは、江國香織さんが作品の中でよく使う言い回しで、日常生活において使うことはあまりないけれど、東京に来てからというもの、わたしの頭をよくよぎる言葉である。「行ける」よりも、「できる」という原始的なよろこびが詰まった言葉だと思う。

自宅の最寄り駅までは約40分。
ほんの少しずつ土地勘が身についてきた自分のことが頼もしい。わたしはこれからも、どこへだってひとりで行かれる。

東京にいるんだという感慨が、いつまでもやまずに響いている。


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