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まだ青の中

YOASOBIの『群青』という曲がある。

大好きな漫画『ブルーピリオド』とコラボしてCMをやっていたこともあり、もちろん何度も耳にしたことはあったのだけれども、はじめてちゃんと聴いたのは、昨年の紅白歌合戦でのことだった。

いや、「ちゃんと」というのは正しくない。

わたしは心を動かされると軽率に泣いてしまうのだけども、その様を団欒中の家族に見られるのは嫌だった。
よって、コーラス隊が登場したあたりで「これは危ないな」と察したわたしは、わざと目の前のお寿司に意識を集中させ、一心不乱に気を散らすよう心がけていたのだった。

そのときはなんとか切り抜けたものの、年が明け、恋人がふいに流したライブ映像で、今度こそ「ちゃんと」歌詞を見ながら聴くと、もうだめだった。
朝ごはん代わりのチョコサンドクッキーを片手に、堪えきれずぼろぼろ泣いた(ちなみに恋人は、わたしのそういった生態に慣れているので「おやおや」と流す程度である)。

Bメロで不意を突くコーラスの迫力、胸に迫るメロディーラインのうつくしさや切なさもさることながら、とにかく歌詞が良い。あまりにも歌詞が良すぎる。

知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよほら
見ないフリしていても
確かにそこにある
好きなものを好きだと言う
怖くて仕方ないけど
好きなことを続けること
それは楽しいだけじゃない

引用したらキリがない。し、打っているとまた泣けてきた。
一文ごとに「そうですよね」「そうやわ」「本当にそのとおり」と泣きながらぶんぶん頷いてしまう

嗚呼 何枚でも ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ

ブルーピリオドの八虎と、YOASOBIの二人の姿が歌詞に重なる。
今や世代を問わず絶大な知名度と人気を誇るユニットであるYOASOBIの幾田りらさんが歌うからこそ、より言葉が重く響く。

たとえ世間に天才と評される人であっても、勝手に作品が湧き出るわけではないし、作ったものすべてに胸を張れるわけでもない。
でも、そこで腐らずに作り続けられることこそを、わたしは天賦の才だと思う。



とはいえ、なぜ自分がこの歌を自分ごととして捉えていて、こんなにも心揺さぶられてしまうのか、この時はまだわからなかった。

わたしは今、自分の仕事観において、前向きな諦めのようなものを手に入れたと感じている。
それは決してマイナスな意味ではなくて、「好きなこと」ではなく「自分にできること・自分がちょっと得意なこと」を、仕事の軸にしようと決めたからだ。

かつては前者の軸でしか考えられず、でもうまくいかなくて、少なからず苦しい思いもした。
しかしその後、さまざまな人の考え方や作品にふれる中で、わたしは後者に軸を据えようと決めたのだった。無理やりではなく、それなりに納得感のある結論だった。

ところが、つい先日、前者の気持ちが消えていなかったことに気づく出来事があった。



退勤後の電車内でのこと。
ぼんやりとインスタグラムを眺めていると、ある投稿で目が止まった。
それは、関西では非常に数少ない、出版社の求人のお知らせだった。

頭の隅がフリーズしたような感覚をおぼえながら、指は勝手に募集要項の記事へと進む。
そこには、募集職種のやりがいや魅力、具体的な仕事内容、その出版社がどんな会社であるかなどが、心の通ったわかりやすい言葉で、丁寧に綴られてあった。

読んでいる途中から、喉の奥がつんと焼けるように痛くなるのを感じていた。反射といってもいい速度で、目には涙が滲んだ。

やっぱりわたしは本が好きで、好きなことを仕事にしたい。
本に関わる仕事ができたら、いったいどんなにいいだろう。


新卒の就活では出版社に絞ってエントリーし、しかし結果は全滅だった。
就職浪人の道も考えたけれど、もう一度がんばれる自信がなくて、結局まったく違う仕事に就いた。

その後、二度の転職を経た今。

仕事はまさに「ちょっと得意なこと」を活かせるもので、それなりにやりがいがあり、それなりに責任のあるポジションを任されるようにもなった。
派遣社員として入社したが、順当にいけば再来月には正社員になる予定である。得意なことを磨こう、がんばっていこうと思っていた。

でも、「好きなこと」じゃない。

手放したはずの思いは、まだしぶとく残っていた。



だめもとで、と弱っちいことを言うわたしに、恋人は「絶対行きたい、絶対受かると思い。そう思わなあかん」と言った。

無意識に「絶対行きたい」と思わないようにしていたのは、だめだったときに落ち込みたくないからだ。就活の時みたいにダメージを受けたくなくて、やっぱりな、とへらへら笑って誤魔化したいからだ。
そんな考えは、受けようとしている会社にも、何より自分自身にも不誠実だった。

思い切り落ち込む覚悟はできた。だから、本気で臨みたいと思う。

わたしは、何かと運命を感じがちなタイプである。
ゆえに、今このタイミングで『群青』に心打たれたことはものすごい巡り合わせなんじゃないかと、どうしても思えてならないのだ。

知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよさあ
見ないフリしていても
確かにそこに今もそこにあるよ

あの日から毎日、頭の中で響いてやまない。

先日のnoteで、映画の主人公たちのことを「青くて遠い」などと書いたのは、いったいどこの誰だったのか。
まだわたしも、まごうことなき青のさなかにいるようだった。

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