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世間の価値観ではなく自分の宿命を受け入れる

私は現在算命学という占術を学んでいます。入学前の学校説明会で簡易鑑定をしてもらいました。そこで言われて唯一覚えていることが「子どもは作っても一人がいいね」ふーんそうなんだー、と特に深く考えずに受け取りました。

当時30代前半。結婚はしていなかったけど同棲中の彼がいました。(その彼は現在私の夫です。)元々結婚願望もなければ子どもが欲しい願望もなかったのです。それは今も同じなんですけど。なので冷静に、と言うよりさほど興味もなくその言葉を受け取ったのだと思います。

世間一般的に考えるならば30代前半未婚女性に対して結婚・出産は結構センシティブな話題ではないでしょうか。35歳過ぎたら高齢出産と言われるし。最近はアラフォーでも出産される方が増えた印象がありますけど。

結婚・出産に興味がある女性の方が多数派だと思っていますが実際はどうなんでしょうね。「結婚に興味ない」って言うと「嘘だ」「強がってる」と言われるし「子ども欲しくない」なんて言うと女性として欠陥品のような扱いを受けそうで大っぴらには言えません。現在40代前半既婚子どもなし。でもこの歳になるとストレートに子どもの話題を振られることはありません。私も最初に「夫がいて子どもはいません」と自己紹介してしまうので。不妊治療が賑わいを見せている昨今の事情からか「この人は授からなかった人なのだな」と相手が勝手に解釈してくれるのか深入りされないのでそこは楽です。

「子どもは作っても一人がいい」

算命学を学んだ今ならその真意が分かります。初対面の先生がそこを切り込んできたのは私の宿命が「子どもを望むであろう星の配置だったから」確かに自分が自分の宿命を客観的に見たら初見で「この人子どもを欲しがるかもしれないな」と思います。でも先生は「作っても一人がいい」と。子どもが欲しい人って何人か生んで育てたいものではないでしょうか。

「作っても一人がいい」と言うのは「本当は子どもはいないほうがいい」を優しく婉曲して言ってくれた言葉だと思います。心では子どもを望んでも宿命的には子どもがいない方が穏やかに生きられる人なんです。私自身は宿命を本能的に分かっていたからか子どもがほしい願望は発動していません。

そして先生は私の両親の宿命までは知らないのでそんな表現に留まったのですが、私は自分の両親の宿命も知ってさらに納得しました。私の父の宿命では本来そこで家系が途絶えていてもおかしくなかったのです。

家系の継続とか繁栄とか少し前時代的な感じもしますが。私の実家も特に家業を営んでいたわけでもなく守るほどの家系でもありません。それでも家系が続かないということは単純に子どもというものに縁がないということです。実際長女の私は嫁に行き、長男の弟は未婚です。

世間一般的な価値観や常識の影響を全く受けないのは難しいですが、それでも自分の心に正直であれば宿命から外れることはありません。「未婚子無しは負け犬」「女は子どもを産んで一人前」私がそんな言葉を真に受けて妊活を頑張って子どもを産んでしまっていたら私は宿命から外れていたはず。

宿命を消化することと一般常識は一致しません。そもそも現在の一般常識だって100年前なら非常識だったりするわけで。そんなものに自分の人生を左右される必要はないのです。

なので一般常識という実体のない尺度で測れば私の人生は欠陥がある状態なのですが本人は至って幸せに生きています。私の旦那さんも子どもがいる普通の家庭とは縁が薄い人なので我ながら合う人と結婚したなぁ、と感心します。実の親に「孫の顔が見たいアピール」をされた時は正直辟易しましたが。でも自分の心が一番大事。親孝行のためだけに出産・育児なんてできません。父の宿命を考えると子ども二人(私と弟)が授かっただけでも儲けものですから孫まで望むのは贅沢というもの。言っても伝わらないでしょうから言わないけど。

算命学って結構厳しいこと言います。その代わりと言ったらなんですがちっぽけな一般常識に押し込まれることもありません。2300年も昔に確立され今も続いている占術・思想なのだから昭和・平成の価値観ごときがかなうわけないです。宿命を受け止めて活かすのは自分の力量となりますが、受け入れることで自分の人生が解放されていきます。私の場合「子どもがいない人生で何も問題ないんだ。むしろ合っているんだ」と思えたように。

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