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占いは強い人じゃないと使いこなせない

「占い好き」と言うと「依存気質」のようなイメージをお持ちではないですか?

使い方によってはそう見えるでしょう。占い師の言いなりになって何でも決めてもらわないと自分では決められない。

でも実際、占う側になった私が実感していることは「占いは使われるものではなく使うもの」当たり前のような感じもしますが効果的に使いこなすのは実際難しいのではないかな。占術はいくつもあるしそれぞれ特徴がある中で、私の選んだ算命学はわりと辛辣。同じ内容でも伝える人によって印象は変わりますけど内容そのものは変わらない。理論体系のしっかりした誰でも学べる学問と言われる所以です。

目に見えない商品だし、好きな人はやるけど一生縁のない人もいる。占いに限ったことではないけれど。占いは形がないものとは言え「道具」なのです。包丁だって優れた料理人が持つか犯罪者が持つかで使用方法・効果・効能は変わってしまう。でも道具とは言え占いはやっぱり目に見えないからファンタジーを求められてしまう。セールスをするための手法としてはイメージは無視できないし、占いってこういうイメージでしょ?って期待に沿おうとすると結局「当たる・当てる」になってしまうジレンマと言うか。

「自分の望まないこと」が起こっているということは何かしら原因があるわけで、自分が選んできた結果で望まないことが起きたわけです。望んでいる方向に進んでいる時には占おう、なんてあまり思わないもの。だから望まないことを改善したい時には自分が選んできたものを否定されることから始まると言ってもいいくらい。

占い師はお医者さんのような存在です。(お医者さんに怒られちゃうかな?)体の不調をみてくれるのがお医者さん。運勢の不調をみてくれるのが占い師。

体調不良で病院に行った時に「あなたは何も悪くないですよ。そのままでいいですよ」って言われたらどうでしょう。「いやいやいや、何かあるでしょう?!」って疑ってしまいませんか。現に調子悪いんだから。病気だって自分の予想もしない原因から明らかに自分に非があるかも・・と心当たりのある原因まで様々あるでしょうけれど。でもその事実を知って受け入れないと治療が始まらない。

「自分は大した努力も行動もしないで理想の結果だけを得ること」を占いに期待していたら確実に失望します。でもどうせ努力と行動を起こすなら結果を出せる方向に導いてくれる道具が占いなんです。

占術は様々あるのでもしかしたら「あなたの理想を与えるだけの占い」も存在するかもしれませんが・・・それは占いと言うより魔法ではないかな。私は出会ったことないんですけど。

身も蓋もないことを言ってしまってる感がありますが、綺麗事を並べ立てるだけよりも現実を伝えることの方が長い目で見て誠実なのではないかなーと思いつつ、簡単に言えることじゃないよね、とも思うけど。占い師の力量はもちろんですが受け手の心構えと行動との相乗効果で未来が変わるんです。病気だってお医者さんに丸投げして自分は不摂生を続けていたらまた元の木阿弥でしょう。

エンターテイメントとして占いを楽しむのも十分ありです。けれど占いが本領を発揮できるのは「行動を起こす人」に道具として使われた時じゃないかな。行動を起こす時はエネルギーを使うもの。そんな行動を起こせるエネルギッシュな人にこそ利用してほしくてこんな言い方をしています。占いは強い人じゃないと使いこなせない、と。





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