適当日記のススメ
2020年10月からパソコンのメモで日記をつけている。通称「他人に見せても問題ないよ日記」である。
最初は体調管理のつもりで適当に始めたものだが、だんだん面白くなり、今では読み返すのが大変なほど長文になる日もあるほどだ。
この日記を書く上での明確なルールはただひとつ、
「誰かに読まれても問題のない文章を書く」ということだけ。
誰かに読まれても問題ないということは、未来の自分が読んでも問題ないということである。
これまでの人生で、書き溜めていた日記を恥ずかしさのあまり全部捨てるということを何度繰り返しただろうか。片手では数え足りないくらいだ。
もう2度と自分の日々を捨てまいと思い設けたルールだったが、読み手を意識することで毎日よりよい文章を書く練習になっている気もする。
日々続いていかなければ意味がないので、たくさん書く日もあれば「なんかしんどい」とか「記録なし」とかしか書かない日があってもいいことにしている。
ゆるくやらないと続かないのはわかりきっていたので、とにかく適当にやっていくことにしたのだ。それが功を奏し、2020年10月から今(2024年10月)までどうにか続いている。
読み返しやすいように毎月末に1ヶ月分を印刷してファイリングしていたのだけれど、だんだんそれも面倒になり、先日思い切ってネットで業者に製本してもらうことにした。
いたって普通の紙を選び、表紙も年だけのシンプルなものに。サイズはA5。表紙にだけグロスラミネート加工をしてもらい、そうして仕上がったものはなかなか素敵なもののように思えた。
自分が何を書いたかなんてほとんど覚えていないので、知らない人の日記を読むように読んでいる。
でも、美味しいものを食べたり、泣いたり笑ったり、仕事がうまくいったりいかなかったり、どうにか毎日を生きようと足掻いているのは確かに過去の私だし、より良い明日もあると信じて書いているのも私なのだった。
この日記を書き始める前は、ずっと「日記を書く」という行為にどんなメリットがあるんだろう?と思っていたし、過去をとどめておいて時々懐かしんで、それが一体何になるのだろう、とも思っていた。
しかし、有意義だから日記を書くのではないし、無意味であったからといって書かないでいられるわけでもない。過去は今自分がいるこの場所と地続きで、未来は過去と現在の先にだけ伸びていくものだ。過去が無ければ、現在も未来も存在し得ない。
意味とか意義とか、メリットとかデメリットとか、過去を振り返るとか良い未来を引き寄せるとか、そこに書かれたことが面白いか面白くないかとか、たぶん全部どうでもいい。そういうものを全部抜きにして、それでも書かずにはいられない。それが日記というものの魅力かもしれないと思っている。
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