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3歳娘が教えてくれたのは理想の人間関係なのかもしれない

最近Facebook広告で見かけた「いつか仕事をするかもしれない人と話そう」というコピーに惹かれてVIRTUAL LUNCH CLUB(https://www.virtual-lunchclub.jp/)に登録してみた。

そのサイトの自己紹介文がしっくりきたので一部紹介します。

生死をさまよう出産を機に、それまで勝敗にこだわり打算的な考え方をしてきた生き方から脱却し、人と人との愛あるあたたかいつながりを大切にしようと決意しました。

産後からなんとなく意識してきたことが、ここまで明確に客観的に文章化でき、ようやく自分の中で当時の自分に区切りがつけられたのかなとうれしく思い新たな生き方への意気込みを込めて2020年の締めくくりとして書いてみることとしました。

その前に

今年は何を成し遂げたかと聞かれると娘のトイトレくらいしか浮かばないほど(しかも成功率が100%ではない)の1年だったにも関わらず、母親アップデートコミュニティで立ち上がったアドベントカレンダー企画「#わたしのアップデート」にご縁あって参加させていただき、それを機にこの1年を振り返ることができたこと、非常に感謝しています。ありがとうございます!

勝敗にこだわり打算的な考え方をしてきた生き方

30歳手前、転職活動をしていた私は初めて会った人から
「あなたは常に人にナイフを向けて話してるのね」
と冗談交じりに言われたことがある。

(今の自分からすると、すごいことを言われたなと背筋が凍る気持ちと、冗談交じりでよく言ってくれたと感謝の気持ちで入り混じって文字通り手に汗を握っている)

そこから長い間全く言葉の意味がわからず過ごしていた。だいぶ経ってから「ナイフを向けて話すとはこういうことなんだな」と自覚することはできたものの、だからといってどうやってその話し方を変えていいのかわからなかった。

私にとって周りは敵だらけで、いつも自分を守っていなければ生きていけない世界だったからだ。

ある日仕事仲間がカウンセリングを受けた感想として「敵に囲まれていて競争しなければいけないという妄想から解放されました!」と話していたのだが、私には解放されるということが全くわからなかった。他の世界を知らなかったから。

そんなこんなで38歳まで”そんな世界”の住人だった。

生死をさまよった出産

38歳というかなり遅い妊娠であったにも関わらず経過は順調で、幸い仕事もなく暇だったため「これをやるべき」「これは避けるべき」という情報は調べ尽くしその通りに実践してきた。ちなみにベビーカーはベビーカーコンサルタントになれるくらい調べ尽くした、本当に暇だった。

準備万端、あとは産むだけ。
その「産むだけ」が全然「だけ」で終わらなかった。

無痛分娩だったため陣痛促進剤を使ったものの、全く娘が出てこようとしないところから雲行きがあやしくなり、午前中に生まれる予定が18時を過ぎる頃にやっと分娩台に上がることができた。

立ち会ってくださった看護師さん総出で出産でき、娘を抱かせてもらったタイミングで「き・き・きもちわるいです」

その後何度か吐き、「気持ち悪い」「寒い」を繰り返し訴えていた。そして看護師さんが「体温が測れません!」と叫び、別の看護師さんに交代しても「体温が測れません!」と叫ぶ。そんな状況を他人事のように感じながら意識が遠くなっていった。

私は出血多量と薬剤アレルギーの影響で超難産になってしまった。看護師さんが「男の人だったら生きていられないくらいの出血量よー」と大笑いするくらい、オオゴトだった。

産後回復の遅かった私は母子同室になる時間が短く、一人で過ごすことが多かった。あんなに準備万端に臨んだのに、なぜ私は超難産になってしまったんだろう。恥ずかしながら初めて経験した「努力は報われないことがある社会の理不尽さ」を噛み締めていた。

自分の無力さをこんなに痛感した時はなかったし、この頃は自分の存在が無意味に思えた。

そんな私に対して様子を見にきてくれる看護師さんはみなさん本当に優しかった。愛にあふれていて心の底から私の回復を願ってくれるように感じたし、元気付けてくれたし、励ましてくれた。ひどい貧血だったのでひどくむくんでパンパンに腫れ上がっている私の顔を見ても顔色一つ変えず、笑いかけてくれたし頻繁に様子を見にきてくれた。

私が今まで見てきた世界、認識していた社会とは大きく異なっていた。

はじめは「この病院はすごいな」と思うくらいだったのが、入院期間中ずっとどの看護師さんに会っても同じ対応だったのでだんだん私の意識が変わってきた。

もしかしてこういう愛にあふれた世界は今まで私が気づかなかっただけで存在しているのかもしれない。だとしたら私はここから先の人生、そんな愛にあふれた世界に住みたい。

共感を教えてくれたママ友

冒頭に書いた自己紹介で「生死をさまよった出産を機に」と書いているが、本当はもう1つきっかけがある。それは一番仲良くしているママ友Aさんだ。便宜上ママ友としたが、もはや子ども関係なく私の友達だ。

フットワークの軽さが妙に気があって、毎週のように電車やバス、遠距離の徒歩などであちこちの赤ちゃん向けイベントに参加した。

ある日いつものようにお互いの育児について大変さを共有していた。私は娘が夜中頻繁に起きてしまうので、毎日睡眠時間が取れずフラフラだった。きまって彼女は「ゆかちゃん大変だねえ、大丈夫?」と心底心配してくれた。その優しさに救われていた。

がよくよく聞いてみると、彼女は私よりも何回も夜中頻繁に起きていたし睡眠時間も細切れすぎて私よりも睡眠時間が短かったことがわかった。

私より疲れていたのに、彼女は私のことを心底心配してくれていた。

これぞ共感!私は今まで全く共感できていなかった…

自分の状況と比べて相手を見ていたこれまでの自分がすごく恥ずかしくなったし、この私の性格のせいでどんなにたくさんの人を傷つけてきたのかと思うといたたまれなくなった。

彼女は家が近かったので、料理が苦手で毎日苦戦している私を見かねてか、作りすぎたからと言っておかずなどを持ってきてくれたし、引っ越し準備で私が疲弊していた時は、何度も家に呼んでくれてご飯を食べさせてくれた。

私にはそんな人間関係を築いた人はいなかった。人間関係なんて殺伐としたものだと諦めていたからだと思う。

彼女は愛にあふれた世界を具現化してくれた。こういう人たちと生きていきたい。

2020年はあたたかなつながりが欲しいと確信した一年だった

2020年は人間関係の悩みが久々に勃発した一年だった。毎日頭痛のように頭を悩ませているから、パフォーマンスもかなり悪かった。

悩みの根源は、過去の私との対峙だった。

あたたかな社会をつくりたい、そう願う人と繋がりたい。と願っているからか、過去の私のようにナイフを向けてくる人にひどく敏感に反応するようになってしまった。

過去の自分なのに、いまやそういう人が怖くて仕方がない。違和感を感じて関係性を解消したケースもあったし、試行錯誤できないものかとまだ悩んでいるケースもある。

ただこのように対峙してきたおかげで、私が成し遂げたい世界はより明確になっていったし、想いは強くなっていった。

それと同時に、私の作りたい社会を具現化してくれる人たちとの出会いにも恵まれた。これは今年1番の収穫かもしれない。

2021年はもっともっとあたたかな自分の居場所を増やしたい

このnoteを書く機会をいただいた母親アップデートコミュニティは私が愛のある世界を作りたいし、そういう人と接したいというわがままを叶えてくれる場として参加しています。

正直全然コミットできていないけれど2021年からはもっと私の理想郷として関わっていきたいです。

またVIRTUAL LUNCH CLUBや同じ価値観を持つママ友とつながることができるKiiTEなど、価値観を同じくする人と出会えるコミュニティを楽しんで活用できたらなと思っています。

このnoteを読んでくださりもし共感していただけたのなら、あたたかくつながる仲間になっていただきたいです!

そして過去の私の姿が見えなくなるまで、あたたかなつながりを私の心の中で大きな存在にしていき、私の熱量の源になってくれたらうれしいなと妄想しています。

3歳娘が教えてくれた2021年の課題

あたたかな社会をつくりたい、そう願う人と繋がりたい。と願っているものの、少し前に触れたように今私が恐れているのは過去の私のようにナイフを向けてくる人にどう対応したらいいんだろう?ということ。

その答えは3歳になったばかりの娘が持っていた。

先日保育園の先生がこんなことを言っていた。
「結構強く手や口が出ちゃう男の子がいるんですけど、●●ちゃん(娘)がめげずにやさしくほんわりと話しかけてくれるから、その子も落ち着いて言うことを聞いて仲良くしてたんですよー」

すごい!私よりもずっと人間ができてると思うことが多い娘だけど、やはり懐が広いというか動じない心は彼女の強みだと感じる。

3歳娘のようにめげずにやさしくほんわりと接することができるだろうか。2021年の課題です。


もし他にも解決策があればぜひ教えてください!

まだまだアップデートしていきたいので、よろしくお願いします!


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