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文字化されていない「思考」は「悩み」止まり

ずっと考えているんだけど、なかなか答えが出なくてね。

そういうことってありますよね。でもこれちょっとクールな目で見てみると、すごく当たり前なこと。悩んでるだけだから、答えが出ないんです。
本人は、十分つらいんで「考えてる」と思ってるかもしれないんですけど。

「考える」ためには、分析する材料が必要ですよね。そしてそれは、通常、脳の作業場(ワーキングメモリ)に広げられない量になるはず。つまり覚えて置けない量になるから、文字化して外に出さないと、その先の作業ができないんです。

例えば何か失敗した時に「なんでこんなことになっちゃったんだろう」って頭の中だけで考えて、その失敗の原因を数え上げても、頭の中では覚えきれない量になっちゃうので、結局堂々巡りになってしまい、結論として「やっぱり自分はダメな人間だ」になっちゃうか「今度はこれに気をつけよう」のように1個しか結論が出ないような状態になっちゃう。
でも実は、失敗の原因って10個か20個ぐらいあって、しかも関連しあったり、絡みあったりしているから、原因を紙に書き出すことで、その分類もできるようになるし、それぞれに対し、1つずつ対策を立てられるようにもなるし、根本的な原因も見つかったりする。そうするとその失敗を二度と繰り返さないということはもちろん、似たような失敗も繰り返さないコツが見つかったりする。そういう過程、全てに言語化作業が必要。頭の中だけでこの作業をすることなんか、人間には普通、できません。できないから「悩み」で止まるのかと。

30年以上、文章指導をしていて思うんです。
「文章力がないから文章力をつけたい」という人の話をよく聞くと、文章力の問題ではなくて、それ以前に「自分の言いたいことがよく分からない」とか「言いたいことがクリアになっていない」とかそういうことが原因である場合がとても多いです。つまり考えてないんですね。こんなこというと受講生をばかにしているみたいですけど、そうじゃなくって。頭の良し悪しではなく、やっぱり普段から自分の思考を文章化してないことが原因。普段、言葉を書いていないことが原因なので、いわば生活習慣病のものようなものです。

紙に書く作業を、原始的だとか、時代に合っていないとか、ものすごくバカにする人がいますけど、この作業をやってる人とやってない人の差はものすごいですよ。実際に書いてみると分かりますけど、書くという作業は、本当にその言葉でいいのかどうか思考する時間がまず生まれますから。そういうことをちゃんとやってきた人間が、そうでない人と差があるのは当たり前だいうことは、国語の先生だったら誰でも知ってること。だからすぐ、消せたり、修正できたりしてしまうタブレット学習には、私、反対なんです。

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