見出し画像

人の良いところを見つける作業は、メンタルが落ちているときにやってはいけない

工藤直子さんの「まるごと好きです」という詩がある。人の良いところを見つけて「だから好き」になるんじゃなく、ちょっと「え?」のところも含めてまるごと好きになるということ。教材研究でも有名なので、学校の授業で習ったことがある人もいるかもね。
子ども時代転校が多かった筆者が、友情についてとても朗らかに語る詩集はこちら。

私も子供時代転校が多かった。小学校は3校変わった。友だち作りには非常に苦労した。苦労しかなかった。一人も知った顔がない教室で、自己紹介だの挨拶だのするのは、小さな体の私には、胃がおかしくなりそうなくらいストレスだった。壮絶ないじめも経験した。そんな中で私が身に付けた術は2つ。

人に弱さを見せないこと、人の良いところ見つけること

なめられたらいじめられる。だから弱いところを人に見せちゃいけない。これが12歳で私が身をもって学んだ処世術。前の学校でいじめられまくっていた私は、次の学校ではいじめる側に回るくらいの人間になるのだと、転校初日に駄菓子屋で買い食いをした(笑)
今思うと可愛いものだけど、この作戦には相当勇気が要った。案の定次の日に職員室に呼ばれた。「前の学校ではどうだったか分からないが、この学校では下校途中にお店に寄ることはいけないことです」
転校翌日に校則違反で職員室に呼ばれた私に、周囲は一目を置いた(と思う)
勉強もがんばった。学校で1位になれば、いじめられないだろう。1位になるには、全教科で100点を取ればいい。学力は強みだ。私は必死に勉強した。
そしてその後、いじめられることはなかった。

もう一つ、相反するように感じるかもしれないが、人の良いところを見つけるということ。どんな人にもいいこといい面がある。絶対にある。だからそれを見つけて、言葉にする。そうすると相手は「自分を認めてくれた」と思うのだと思う。私を敵にはしにくくなる。

ものすごく暗い作戦だけれど、当時の私にとっては、まさに生きていく術だった。小学生なのに、よくがんばったねと、当時の私を褒めてあげたい。

転校初日の校則違反により、私はある程度、いじめられないポジションを確保して、その後は普通に学生生活を送った。しかしすっかり身に付いてしまったこの二つの術は、なかなか抜けず、時々私の短所として顔をもたげる。人に弱みを見せないというところについては、なかなか人に頼れない性格をつくりだしてしまった。人に頼めないという結果、なんでもかんでも自分でやってしまうことに繋がってしまった。人に何かを委ねることができるようになったのは、もう50近くなってからだった。もう一つ人の良いところを見つけるという方は、割と良いことのように見えた。
「ゆかさんはいつもいいところに気がついてくれるよね」
「ゆかさんはいつも、人のいいところを見ているよね」
そんな評価も受けるようになったので、私はそれを自分の長所だと勘違いしていたかもしれない。

勘違いだとわかったのはメンタルが落ち込んだときである

例えば、ひどいことを言われたり、不愉快なことをされたりした時にでさえ、その相手のいいところ探しをしてしまう。
いつもお世話になっているから、この言葉には耐えなくてはいけない。
こんな風に言っているけれども、この人にはこんないいところがある。
そのように自分が傷ついたことを横に置き、その人のいいところを一生懸命探してしまった。

この状態が続くと、ハラスメントで被害に遭っているのに関係性が切れないDV の被害者みたいになるのかもしれない。

どんな人にも良いところは絶対あると思う。
でもそれと、自分の感情等をきちんと切り離し、対処することが必要なのだ。しかし、メンタルが落ちていると、それすらできない。だったら、自分の心を守るために、とりあえずこんな酷いことを言う人は、酷い人に違いないというストレートな感情を許すことが大事なように思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?