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長い文章は区切って考えるでしょう?

一文は短い方がいい。
どの文章術の本にも書いてある共通項目。
こんなに有名な項目なのに、なぜか無視する人は多い。

例えば逆に、自分が長い文章に出会った時、ちょっと何が書いてあるのかが理解できなくて、何回も読み直すことってありますよね。その時に、短く区切って考えるでしょう。
自分が長い一文を書いた時は、同じ負担を、読者にもさせているんだっていうことに気づいた方がいいかもしれないよね。

例えば次の文章(実話)

私は、市の健康診断の日に、病院近くの郵便局で郵便物を出そうと思い、朝からその準備をしていたのだけど、いざバスに乗って街に向かい、郵便局で荷物を出した後、病院に行った時に、健康診断に必要な問診票を家に忘れてきたことに気がついて、問診票がなくても健康診断を受けられるか受付で聞いたところ、問診票は市に提出する書類であるため、それがないと受けられないと説明を受けたので、仕方なく家まで引き返すことになったが、検査のために朝食を抜いていたので、もう1往復して病院にたどり着いた頃には、すでにくたびれきっており、採尿や採血、心電図やレントゲン撮影などを終えた時は、まるで病気にかかったかのように、ぐったりしてしまった。

こんな日常的な文章でさえ、読むのにげんなりしてしまう。これが論文だとか、レポートとかになると、書かれてる語彙も難しいものになるので、余計理解を妨げることになってしまう。
それほど難しい文章でなくても、例えば、短い方が良いとされているメールなどで、このような文を見かけた時には「う。訳が分からない。あとでゆっくり読もう」と後回しにされてしまう。

たまたま、私には、文章力が人よりちょっとあるので(笑)、何とかねじれずに書けたけれど、この長さの文章を一気に書くと、たいていは、主語が途中で入れ替わったり、時制の不一致が見られたりして、誰が何をした話なのか追い続けることができなくなってしまう。

上の文章を出来事ごとに区切ってみよう!
この時、述語に注目するといいですよ。

私は、市の健康診断の日に、病院近くの郵便局で郵便物を出そうと思い、朝からその準備をしていた

「準備をしていた」がメインの述語

のだけど、いざバスに乗って街に向かい、郵便局で荷物を出した後、病院に行った時に、健康診断に必要な問診票を家に忘れてきたことに気がついて、

「気が付いた」がメインの述語

問診票がなくても健康診断を受けられるか受付で聞いたところ、問診票は市に提出する書類であるため、それがないと受けられないと説明を受けたので、仕方なく家まで引き返すことになった

「引き返すことになった」がメインの述語

が、検査のために朝食を抜いていたので、もう1往復して病院にたどり着いた頃には、すでにくたびれきっており、採尿や採血、心電図やレントゲン撮影などを終えた時は、まるで病気にかかったかのように、ぐったりしてしまった。

「ぐったりしてしまった」がメインの述語

さて、次は、その出来事と出来事の関係が、どのような関係がにあるのか、接続詞を使ってつなげてみる。小学生の国語で習ったよね。

私は、市の健康診断の日に、病院近くの郵便局で郵便物を出そうと思い、朝からその準備をしていた。
しかし、いざバスに乗って街に向かい、郵便局で荷物を出した後、病院に行った時に、健康診断に必要な問診票を家に忘れてきたことに気がついた。
そこで、問診票がなくても健康診断を受けられるか受付で聞いたところ、問診票は市に提出する書類であるため、それがないと受けられないと説明を受けたので、仕方なく家まで引き返すことになった。
ところが、検査のために朝食を抜いていたので、もう1往復して病院にたどり着いた頃には、すでにくたびれきっており、採尿や採血、心電図やレントゲン撮影などを終えた時は、まるで病気にかかったかのように、ぐったりしてしまった。

こうしてできた短い文の集合体の方が、よっぽど読みやすい。言葉が難しくなっても、このように一文が短い文章は、1つ句点「。」が来るたびに、読者が「ふむふむ」などと言いながら、読み進めることができる。
なので「え?何だっけ?」というように、文をさかのぼることが一度もなくなる。この「え?何だっけ?」がマイナス1ポイントとすると、それが5回も6回も出てくると「ああ、もう、この人の文章分かりにくっ!」となってしまうわけです。

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