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体の不調は、前兆じゃなくすでに結果

今朝、通勤ラッシュの電車で一緒だった男の子。男の子と言っても、20代半ばから後半くらいの年。そう、息子ぐらい。
途中駅で降りて、階段方面に進むかと思いきや、ホームにしゃがみこんでしまった。ほどなく、ドアが閉まり、私は何もできず車内から彼を見守った。
顔色は悪くない。でもとても疲れている様子だった。

電車は出発し、その駅を離れたけれど、視界に入っている間、彼はため息をついたり、頭を掻きむしったりしていた。
何かあったのかな……。

息子もそんなに丈夫な子じゃなかったから、つい、親のような気持ちになってしまう。もし、この子の親だったら、きっと私に、電車を降りて面倒を見てほしいと思うかもしれない。乗る予定の新幹線なんて1本遅らせればいい。降りてあげればよかった。

病気でもないのに体に出るサイン。例えば、だるいとか、頭が痛いとか。そういう場合は、既に心が限界のことが多い。

不登校も同じだ。
「登校できないことが問題のスタートではない」という話はよく聞く。
悪い状態は、もうかなり進んでいて「学校にいけない」という目に見える状態になってやっと、他人に気づかれるというタイミングらしい。そうなった時は、既に何年も経過しているらしい。我慢したり、親に心配をかけないようにしようとか、自分はもう少し頑張れるとか、無理をしたりした結果、症状が体に出てくるらしい。

だから、この場合、学校に急いで戻すことは最悪の解決策なのだそうだ。2回目、つまり「やっぱりだめだった」時は、より強く「同じ迷惑はかけられない」と頑張ってしまうのだそう。ちょっと怖い話だが、若者の自殺者の中に、不登校経験者で、しかも早期に学校に戻れた子が多いともいう。
だから、早急に学校に戻すことより、症状のもとになった問題に、家族全員と学校でがっつり向き合わないといけない。

不登校のセミナーで「似たような例が新入社員にいる」という質問をした人がいた。子どもの為にセミナーを受けにきたが「そういえば私の部下も同じだわ」と気が付いたのだそう。

「大丈夫?」「ベンチで休む?」声をかけてあげたら良かったな。

大人のように見えて、誰も大人じゃない。
みんな、ちょっと無理してる。

だから、私のようなおせっかいおばさんが「大丈夫?」と声をかけてあげなくちゃいけなかったな。

全国のおせっかいおばさん、一緒に声かけましょう。

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