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自己紹介

最近日本語でも投稿を始めたので、簡単な自己紹介をします。
内容は、先日のFacebook Liveの冒頭でお話したものと重複します。

現在は日本在住で、主に国際機関で働く人を対象に、オンラインでコーチングの仕事をしています。前職は国連職員です。2001年から2018年まで国連世界食糧計画、United Nations World Food Programme(WFP)という機関で食料援助に携わってきました。

数えてみますと、17年間で国際引越しを10回、平均2年に一度くらい国を移動して、スーダン、イエメン、タジキスタン、タイ、イタリアで働いてきました。これまでのキャリアの約半分は、いわゆる開発途上国で食料援助を必要とする人に届けるためのプログラムの運営に従事し、残り半分はイタリアにあるWFP本部やバンコクにあるWFPアジア地域事務所で働き、退職前の3年半はイタリアの本部で人事関係、タレント・マネジメントの仕事をしていました。

なぜ国連に入ろうと思ったか?

14歳、中学2年生のときに、ニューヨークにある国連本部に行ったことがきっかけです。その時国連ビルの中をめぐるツアーに参加して、様々な国の人たちが一堂に介して働く、その環境に憧れて、こんなところで働きたい!と思いました。高校で1年交換留学に行き、南米やアジアから来た留学生と出会って国連への夢が再燃し、大学では開発学を専攻しました。大学の恩師が国連職員だったこともあり、ゼミでは様々な開発の分野や国連という組織について学ぶことができました。大学4年生の時に、WFPの採用ミッションが来日して、幸運なことに日本から選ばれた3人のうちの一人として、新卒で国連に入ることができました。

国連に入ってみて

私が採用された時のスキームは、前例がない、全く新しい採用プログラムでした。通常は3−5年の職務経験を積んで、修士号を持っている人がJPO(Junior Professional Officer)派遣制度という外務省の採用プロセスを経て国連機関に派遣されるのが、国連に入る最短コースなので、新卒で入って来る人はまずいません。他の職員も中途採用が多いです。ですから、新卒で入ってくる新職員のためのトレーニングなんてないわけです。新しいプログラムなので先輩もいません。上司に、あなたはJPOと何が違うの?と聞かれるくらい知名度の低い新プログラムで採用されたので、周囲も戸惑っていました。でも初めから仕事はどんどん任されました。配属された部署は人手が足りなかったんですね。上司は忙しくてあまり構ってもらえず、はじめの頃は海に突き落とされて、自分で泳ぎ方を学べ、と言われた様な気分でした。でももがいていると、泳ぎ方を教えてくれる人とか、浮き輪を投げてくれる人とかが出てきて、いろんな方に助けられながらなんとか泳げる様になって行きました。

よく入る前の国連のイメージと入ってからの現実とのギャップはありますかと聞かれますが、全く社会人経験なしで国連に入ったので、比べられる経験もなくて、ただオープンに、すべての出来事に真っ向から向かっていった感じです。あとで、同じ職場の先輩たちに、それはおかしいよ、もっと上司を頼るべきだよ、とか言われたんですけど、当時は、やれと言われたら、なんとしてでもやる!と思っていたので、ものすごく頑張っていましたね。毎日早朝から夜遅くまで、燃え尽き症候群になる一歩手前くらいまでひたすら働きました。寝ても覚めても仕事のことばかり考えていましたし、最初の一年の間にストレスで蕁麻疹が出たり、パソコンのキーボードを長時間元気よく叩きすぎて(笑)腱鞘炎になったりしていました。

これはあくまで私個人の経験ですけれど、経験がなくても、やる気があれば、仕事を任せてもらえて、仕事をしながら学び、成長できる機会をたくさん与えてもらいました。そしてやればやるほど、成功すればするほど、もっとハードルが上がっていくんです。おかげですごく成長させてもらいました。現在の私があるのも、WFPで鍛えてもらったおかげです。本当に貴重な経験をさせてもらって感謝しています。

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