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人が生きていけないと思う瞬間には種類がある。
今が苦しいことからくるもの。苦しみが連続してやってくるとき。この苦しみを絶ちたいと願う時。
そして、闇の中にいて光が見えない時。一筋でいいから光が射せば、人はそこからまた生きていられる。

22歳くらいの時の鬱は今が苦しいことから、死を考えた。でも死ぬことは出来なかった。

冬に鬱々するとか、そういうレベルで語れない重い鬱だった。精神病になりさまざまな症状が出る中で最も苦しかった。


闇の中にいて光が見えなかった時があった。
28歳の時だと思う。思うけれどもうはっきりとは覚えていない。
家にあるありったけの薬とウィスキーを飲んだ。ICUに運ばれて助かった。幸い目立った後遺症もなかったけれど。なにか大切なものを失ったような気もした。

28歳というのはすごく象徴的な年齢で、精神を病んだら結婚できない、しにくい、子どもは産めない、または育てる能力が自分にない。

そういう綺麗事で済まされない現実と向き合わなければならず、

28歳と言うのはまだ、自分のことすらよく分かっておらず。

その時には得られなかった本当の自分らしさを今は、手にしているかもしれないけれど。今度は43歳…もうすぐ44という。鬱から遥か22年過ぎたところまで来て、なぜもっと自分の仕事を早く見つけられなかっただろうと。
残り時間のなさを悔いる自分も発見する。

苦しかったことを思い出して綴るのも何度も試みた。そうすることで癒されたし、リアクションをいただき優しい言葉をかけてくれる人もいた。
自分のことのように悲しみ寄り添ってくれる人もいる。

闇の中から光を求めて這い上がってきたとき。
わたしはもう「頑張って堪える」というスキルを失っていた。
こらえがきかない、というやつだ。
耐えに耐えて糸が切れたようになるくらいなら、罵られて馬鹿にされても、怠けて謝って全部辞めて休むように。心がそういう風になってしまった。

頑張って堪える時代ではないのかもしれない。

けれど、わたしには頑張って堪えるくらいしなければ自分に価値がないと思い辛かった。

なんの資格もなく、職歴もなく、結婚相手もおらず、彼氏すらいなくて、世の中のお荷物だと思って辛かった。

ギリギリで踏ん張れないわたしには働く場所はもうない。
だから自分で仕事できるように色々している。

もう時間は十分にないし、なかなか前に進めなくて焦る自分もいる。

おかしな話だけれど、こんな時に、闇の中にいた経験が自分を励ます。あんなところから来たのだからと、過去の自分は嬉々として、比べる対象になってくれる。
わたしはそれで救われた気持ちになっている。
なんなら母がそれを口にする時もある。
あんな酷いところから来たんだから今はマシだと母も言う。

今はマシ、上等である。

一度捨てた命なのだから、拾いもんである。

馬鹿にされたり嫌われたり、疎まれたりすることもある。

それでも私は私が大好きで。
自分のことが大切だ。過去も大切じゃなかったから死のうとしたのではない。

どんな形でも生きていられれば良い。

仕事なんか辞めたっていい。

誰かに頼って生きていたっていい。

今日、メメント・モリという言葉を知った。
「自分が死ぬということを忘れるな」というような意味らしい。
最近、命がいつまでもあるような計算をして生活していた。
以前まで明日死んでも悔いはないと思いながら生きてたのに。

仕事を伸ばそうとしたり、結果を出そうと時期をみていて、そういう思考になってきたんだろう。時間は無限にはないと。このブログを書いていて思い出した。

ラッキーなことに🤞健康になってきた身体に、
こんどは美しい心を注げるようになりたい。

見ている世界観も、YouTubeやインスタのオススメも、自分のあたまん中も酷いもんだと俯瞰して自分を見ていると思う。
下世話なおばちゃんに成りたくはないと思う。


生きる時代がいまだから令和だから、人らしく生きられる。生かされている。そんな私のささやかな人生に、寄り添ってくれるたくさんの優しい人たちへ。
感謝する心を忘れないでいたい。

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