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水彩の練習を始めた

ふと祖父母のことを想った。最近はコロナで気軽に帰省もしづらくなり全然会ってない。「離れている祖父母のために何かできることはないかなあ」と考え私は水彩画を始めた。

プラスチックのカップに水を汲んだ。そこで水彩をやるにはまず机の片付けから始めなければならないと気づく。万が一濡れたら困るものなどを整理して、2年前くらいに大学の課題のために買って全然使ってなかった絵具や筆を引っ張り出し、LOFTで買ったおいたマルマンのスケッチブックをぺらっと開く。表面が少しボコボコした水彩紙に筆を置いていく。

案の定、全然思い通りに描けない。ネットの上手な人の作品と自分の絵を見比べて少しショックを受けた。別に絵描きでもない私が人に言われたわけでもなく始めたことだからどんな完成度でもいいのだけれど、これを遠く離れた祖父母に送ると考えるとやはりきれいなものを描きたい。YouTubeで上手な人の描き方を真似して繰り返していくうちに、少しづつだけど自分の思い通りのものが描けるようになっていく。うまくなりたい!と練習する原動力はただ一つ「大切な人に送る」それだけだ。

別に水彩である必要はなかった。何かおいしいものを送るとか、なんならきれいなポストカードを買って送るとか!離れていてもしてあげられることは他にもある。でもやはり自らの手で何かをしたかった。そんなことを思ったのも北村みなみさんの「リトルワールドストレンジャー」を読んだからかもしれない。

物語の舞台は技術によって自らの身体を動かすことはなく物理的に肉体を触れ合わずに、日常生活やコミュニケーションをとるようになった将来の地球である。ここで主人公はアウトローと呼ばれる社会から逸脱し自分の肉体を動かす人物との出会いをきっかけに、好意を寄せている相手のために直筆で手紙を書き始める。指さえも自分の意思で動かしたことのなかった彼女は数ヶ月かけて練習し、アウトローに手紙を届けてもらうのであった。

物語の設定は、コロナにより人と物理的に距離を取ることが求められ、それを補うようにネットの技術を活用している現在の状況とよく共通している。実際にビデオ通話をすれば顔を見ながら話ができるし通信技術は本当に便利ですごいと思う。このまま通信技術が進展していき、人間は思考をする脳のみが重要で肉体をもった身体性が失われていくかもしれない未来の姿をこの物語から想像してしまう。

将来、技術の発展と共に私たち人間が肉体を動かさなくなってしまうかもしれないことを想像するとなんだか怖い気もする一方、そのような技術を築き上げた社会を見てみたい気もする。しかし、人が人を想う気持ちがある限り自らの身体性を失うことはないんだろうなと自分の未熟な絵を前にして思う。

今は大学の秋学期が始まるまでに祖父母にきれいな絵葉書を送ることが私の目標だ。


リトルワールドストレンジャー『グッバイ・ハロー・ワールド』作・北村みなみ 

https://www.amazon.co.jp/グッバイ・ハロー・ワールド-北村みなみ/dp/4910422013/ref=sr_1_1?dchild=1&qid=1630228554&s=books&sr=1-1




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