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1月31日(日)

 昨晩寝るのが12時半頃だったので今日は結局9時頃までベッドでだらだらと過ごしてしまった。早く起きて韓国語の勉強をするつもりだったのに。まあ、久しぶりに朝ゆっくりと一人で目覚める日曜の朝だったので、それも贅沢かと思い、天気の良い空をベッドから眺めながらぼうっとした。先週の日曜の朝は憂鬱な気分で目覚めて、一日中それが続いていた。そして天気も最悪だった。そして今日は私の気分ぴったりに添う快晴。天気が私についてきているのだろうか。それとも私の気分が空に引っ張られているだけだろうか。どちらでも同じなのであれば、気分が良いから前者を信じることにする。

 起きて作業台に向かってしばらく作業を。まだ進みは遅いけれど、小説も少しずつ前に進んできてはいる。遅くても進んでいる、ということが今は大事だ。コーヒーをドリップして、高級オーガニックのオーツミルクで美味しい飲み物を、そしてバイト先で土曜日から発売が開始した新作である桜餡の塩バターロールを嗜みながらパソコンに向かう。春の風が体中を駆け巡る。見ている本物の桜を食べたことがないのに、桜味を食べるとそれが桜だと思う。本物を知らないのにそうだと言っているのは嘘つきなんだろうか。今年桜が咲いたら、夜の公園でこっそりと花びらを摘んで、隠れて口に入れてみようかしら。もしも私の知る桜味がしなかったとしたら、私はその後、桜味を何味と呼べばいいのだろうか。そんなどうでもいい心配が時々頭を占領する。今年の春にすべきイベントが、もうひとつできてしまった。明日から始まるのは、まだ2月だというのに。

 1日を始めるのが遅かったから、気がつくともうお昼になっていた。余っていたご飯を蒸し器で温めている間(うちには電子レンジはない)、同時に昨晩のトマト煮込みを温める。トマトの煮汁が再び出てくるまで、焦げ付かないようにゆっくりかき混ぜながら。そのふたつが温まったら、耐熱皿にご飯、煮込みの順に入れ、上からモッツァレラチーズをたっぷりかける。あとはグリルに入れてチーズが溶けて焦げ目がつくまで焼く。今日は外に行く用事もないので、昼間から赤ワインも呑んだ。

 食後から残りの愛の不時着をみるためにまたベッドに横たわり、プロジェクターをオンにして再生。うちは音声もある程度いい音のするスピーカーに繋いでいるし、遮光カーテンで真っ暗闇にして観られるので、図らずとも自粛期間に映画館が開いていなくても家で同じような体験をすることができる。テレビは持っていないので確かに流行にはついていけないけれど、そもそも流行に興味がないので問題ではない。正直テレビを買うよりずっと安いし、こんなにも映像の価値をフルで楽しめるのに、どうしてみんながプロジェクターを持っていないのか不思議である。私の親友も私の家でプロジェクターばかり観ていて、結局自分でも買っていた。うちにはカセットプレーヤーもあるし、レコードプレーヤーもあるし、やたら管のついたプロジェクターもある。家主のことを知らない人がうちに来たら、もしかすると男の家だと思われるかもしれない。昔から自分でなんでも調べて機械ものを設置するのが好きなのである。

 昼過ぎから夜までにかけてようやく愛の不時着を観終わった。泣くは笑うはで顔が大変である。この主人公の二人が現実でも熱愛しているなんて、こちらまで幸せになるではないか。ユン・セリを見ながら私も綺麗になると決意し、リ・ジョンヒョクを見ながら必ずはイケメンと結婚するのだと意気込む私であった。時間を空けてこのドラマは再度観たい。

 感動を胸にさっとシャワーを浴びる。愛の不時着の挿入歌には、私の好きなCrushやペク・イェリンも参加しているのもいいところだ。シャワーを浴びながらCrushのLet Us Goをリピートにして聞いた。

 シャワーのあとは念入りに肌の手入れをして、ワインを呑みながら今これを書いている。明日からは月曜日なので、お弁当用にお米も炊いている。夜ご飯は食べないけれど、いつもお米の炊ける匂いにはつい負けそうになる。土鍋から吹き上げるお米の湯気が部屋中に広がって、なんともいえないのだ。筋トレを始めて夜ご飯を基本的に食べないようになってから4キロほど落ちた。今では夜にお腹も空かない体になったけれど、たまに食べた次の日からは特に気を引き締めなければならない。ここ数日は気温も上がっているし、そういう日にはまたランニングを始めた方がいいかもしれない。体重が落ちたから体が綺麗に痩せているわけではない。しっかり鍛えなければ。

 結局TOPIKの参考書は買いに行かなかったけれど、オンラインで買った参考書に取り組むことにした。やはり紙ベースのものの方が使い易いけれど、まずは持っているものを大切に取り組まなければ。やる気さえあればなんだってやれるはず。とにかく韓国語で本を読んだりある程度自由に人と意見を交わせるようになりたいので、そのためにこれから数年かけて頑張らなければ。

 ということでまだ21時なので、これから勉強をして本を読んで早めに寝ることとしよう。また明日の朝からきちんと勉強する日々に戻そう。ひとりの日曜日はいろんなことができるけれど、やはり1日が終わるのは早い。昔から行き急ぐタイプなので、こうして1日が早く終わることが何より嫌だけれど、時間は誰にでも平等に与えられている。明日からの仕事もひとつでも多く価値がつくよう、前進していかなければ。

 最近お気に入りの曲はSummer Soulの돌아갔던 길(帰った道)。この曲みたいに、私にも思い出す誰かとの帰り道がある。この歌を聴きながら月を見ながら一人一人思い出してみる。今もどこかで生きている人たちもいれば、もう同じ空の下にいない人もいる。そう思うと、急にみんなが懐かしくなる。ついこの前会った人もみんな、恋しくなる。自分が突き放した人すら、恋しくなる。いい加減な態度も言葉も、そんな感情の中で丸くなって綺麗なものになる。その人たちの記憶に残ったそれらは今もとげを持っているのだろうか。それとも同じように、丸くて綺麗になれる瞬間もあるのだろうか。人は自分が人に残した傷は忘れてしまうという。だけど、そうじゃないものもある。私は彼らに悪いとは思わない。私なりに出した答えを、うまく伝えられなかっただけだから。だけど私はその時の自分に申し訳ないと思う。きちんと逃げずに彼らと向き合う術が持てていなかったがために、相手を傷つけることしかできなかった私を。これからの未来に生きる私は、今こうしてここに生きている私にも、きっと同じことを思うのだと思う。それは日々を重ねていく以上避けられない。私は人を傷つけずには生きていけないし、傷つけられずに生きてもいけない。必ず誰かと互いに傷つけ合いながら、何かを学んでいくしかできない。

 命がある限り、毎日、1日ずつ、帰り道がある。明日の帰り道は、私は何を考えているのだろう。何を考えていたとしても、そこには必ず誰かがいる。良い意味だろうと悪い意味だろうと、誰かが私の日々に関与していること自体は、きっと悪いことではない。


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