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1月25日(月)

 今日は朝から体調不良で仕事を休んだ。とはいえ、明日大事なクライアントとのミーティングがあるので、昼の1時までは仕事をしたけれど。天気が昨日とうって変わったように爽やかだったのに、私はどんよりと頭が重い1日だった。残りの仕事時間は金曜日に穴埋めする予定だ。

 外に出るのはキツいけれど、じっとしているのももっと悪くなりそうで、ちょこちょこ起きては溜まっていた洗濯物を片付けたり、昼飯には生姜焼きを作って食べた。ベッドにいる間も眠り続けるのはきつくて、愛の不時着の続きをガシガシと観た。やっと10話まできたのに、まだ6話も残っているなんて。面白いから終わって欲しくないけれど、これから後何を6話分も引きずると言うのか。終わりが楽しみでもある。

 夕方には随分と気分も良くなったので、ベランダに出て暗くなった夕方の空気を吸った。うちからは星が良く見える。ちょうど窓のところにベッドがあるので、時々カーテンを開けて、窓すれすれの位置に枕を設置し、月明かりを浴びながら眠ることもある。昼間の明るくて元気な空も好きだけれど、私は静まりかえった夜に浮かぶものたちからの方が力をもらう。今日は薄い雲が空を覆っていたけれど、その雲間から顔を出して輝く星がいくつか見えた。強い光は、どんな膜も突き破ってこちらに目一杯降り注ぐ。先に顎を乗せながらしばらく冷たい空気を吸ったり吐いたりしていた。

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 早めに今日は風呂に入り、たっぷり汗をかいた。基本的に私の家ではどの場所でも蛍光灯は点けないので、お風呂はアルコールランプの灯だけだ。ランプの火がふわふわと揺れる中で、ドラマの続きを観た。

 上がってから明日のお弁当のためにおかずを一品と米を炊く。そして米が炊き上がるまでの間、これを書いている。料理をしながら、私は今自分が答えを出したがっている問題の答えを、もう知っているなと、ふと思った。直感がいつでも正しかったとは言わないけれど、やはり直感は無視すべきではない。愛の不時着のユン・セリだって、結局間違って見えた直感が正しい道を示したではないか。なんていうことを考えていたら、少しだけ気分が楽になった。だけどこれは私ひとりで解決すればいい問題ではなかったのだと思い出し、また気分はプラマイゼロに戻ってしまった。私は酷いやつなのだろうかと思ったけれど、そういう風に考えるのはやめた。誰も傷つかないことなんて、この世にはないのだし。

 これから少し韓国語の勉強をして、あとは動画をやめて本を手に取ることにする。私は今、とてつもなく、ひとりの時間を大切にしたい。静かな、ひとりの時間が欲しい。だから今日みたいな日は、とても意味がある。それをきちんと正しく締めくくるために、私は静かで孤独な世界を、最後の一雫まで飲み干さなくてはならない。

 ジャスティンの歌を聴きながら、トロントの大雪の中、彼のアコースティックライブを観た日を思い出す。長年憧れていた人がすぐ目の前でギター一本で歌っていた。トロントで過ごした1年がもう5年も前になるなんて。ノスタルジーに寄りかかるなんてよがったことはしたくないのに、どうしてもその居心地の良さに引き寄せられてしまう。

 私はいつになったら、孤独を手放す事ができるのだろう。


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