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1月26日(火)

 今朝は体調も気分も良かったので、予定通り出社。なんと、アプローチしていた件の提携契約が正式に決定。とはいえ、うちの会社が他社と提携して何かを行うのは初めてのことなので、ここからが勝負である。でもこの決定がなければ前に進めないことなので、とりあえず自分に良くやったと言っておこう。問題は山積みではあるけれど、山がある景色の方が面白味があるではないか。そういうことにしておこう。明日は詳細について社長とつめるためミーティング。怒られることも山積みだろうと思うと背中が丸々が、まあこうなればシャキッとして怒られ、問題は時間内に解決すればいい。時間は短いが、それでもある。私の大好きなTa-kuの歌で「Who said something is better than nothing (何もないよりはマシだなんて誰が言ったんだ)」なんて歌詞があるが、やっぱりどんな辛いことでも、経験できるということはできないことよりも豊かであると思う。

 1時間だけ残業して帰宅。久しぶりに親に電話したら「お母さんも今日あんたに電話しようかと思ってたのよ」とお母さん。いつだって私たちは同じことを考える。年末に帰ってきてからこの1月がとてつもなく長く感じるから、もうみんなが恋しい。この数週間で私に色々あったことは、親には話せないけれど、もしかしたらお母さんの感覚はもう何かを勘づいているかもしれない。

 昨日時間を決めて落ち込んだので、今からはもうクヨクヨするのは止める。悩み事があるときにはいつも時間を決めて悩むことにしている。期限をつけると、それだけで何故かすっきりと解消できるのだ。終わりがないから怖いなら、まずは終わりを決めればいい。それだけのこと。そうしたら意外と、気軽に前に進むことができる。それはもしかしたら意外と留まれるということかもしれないし、やっぱりその場から去ることかもしれない。いずれにせよ、それは前進だ。
 と書いて、伊集院静の「それでも前へ進む」のことを思い出す。美しく綴られたこの本が私は大好きだ。久しぶりに今週末読んでみよう。

 人のことで悩むとき、私は最終的にこう考えるようにしている。「人はそれぞれ人の事情で生きている。だったら私も自分の事情で生きよう」。それは語弊を生む考えかもしれないし、勝手なのかもしれない。だけど、どちらを選べばいいかわからなくなったら、自分の軸を信じるしかない。誰もが北に進んだとて、自分のコンパスが南を指しているのならば、それに従う他実際のところないのだ。それで何か間違っていても、「ないよりかはマシ」な経験になるだろう。世界に対する忠誠心と責任の重ささえしっかり携えていれば、いかなる決定も間違えだとはいえない。

 そういえば、昨日Justin Nozukaの曲を聴いてトロントで観たライブを思い出すと書いていたが、今朝のFacebookの思い出を観ていたら、その日はまさに5年前の今日だったらしい。これもきっと何かなのだろう。私は過去の自分に共鳴しながら今日も生きている。そして今日の私は、未来とも共鳴して生きている。ならば私は、幸せでなければならない。6

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