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3月6日(土)

삼월 육일 토요일 

 木曜日に緊急案件のため休んだので、今週のバイトは今日だけ。最初から最後まで忙しい一日で時間はあっという間に過ぎた。帰って仕事用の携帯をチェックするとメールが入っており、今回私を煩わせた案件も収束に無事向かっているようで一安心。

 帰ってきてから余っていた味噌汁用に煮ていた汁に(うちでは味噌は沸騰させないように、出汁で煮たものを温め直して、碗の中で味噌を溶かすようにしている)たっぷりのコチュジャンと豆板醤を入れてそこに少しだけ白だしを加えうどんにした。ずいぶんと温かいけれど、寒くても暑くても辛いものはいつだって美味しい。ご飯を食べながら携帯で『유열의 음악앨범(ユ・ヨルの音楽アルバム)』を見始めて、食べ終わった後大画面で見たかったので寝室に移動してプロジェクターで続きを見た。とても韓国らしくていい映画だった。それにしてもNetflixオリジナルの良さには毎度驚く。昔イベントで入江陽さんが 仕事でNetflixの本社を尋ねたときの話をしてくれたけど、入江さんが「Netflixのライバルは誰ですか?」と尋ねたところ、「時間です」と答えたという。AmazonプライムでもHuluでもなく、「時間」だと。つまり、どれだけ視聴者から他に使う時間を奪いNetflixに割かせるかが勝負だというのだ。聞いたときは恐ろしいなと思ったけれど、私一人だけの生活を見てみても、完全にまんまとハマっているなと思う。しかし、そんな回答を持っているNetflixはやはり頭がいい。すでに頂点に立っているキングしかなかなかできない回答である。素晴らしい。

 なんとなく体を動かしたくなって、久しぶりに夕方走りに行った。とはいえ、なんだかすぐに飽きてしまって15分程度で帰ってきてしまったけれど。そのまま家で筋トレをして、シャワーを浴びた。上がってワインを呑みながら勉強をしようと思っていたら親友から電話がかかってきて、今から仕事帰りだから寄っていいかという。もちろん、ということで親友が家に来て呑んだ。少し会うのは久しぶりだったので、なんだか不思議な感じ。私はなかなか人に会わないタイプなので、気心知れている相手でも久しぶりに会うとちょっとだけチューナーを合わせる必要がある。その人に対してというよりも、「他者」に対して。普段一人でばかりいる人間の特徴じゃないだろうか。気がついたらもう12時を過ぎそうになっていて、親友は帰って行った。明日から友達の住む茨城に行くという。コンビニに行こうと思い、帰り道の途中までついていく。風が昼間とは変わって冷たくなっている。明日から気温が10°ほど下がるという。変な気候。それでも寒さの中にやはり春が顔を出している。もう一度は顔を出したんだから何がなんでも引っ込んだりしないぞ、という感じ。コンビニの通りの信号が青になって親友は帰っていき、私はコンビニに入っていく。

 これまでは面倒で片付けは明日というタイプだったのだが、部屋の模様替えをして以来、シンクに基本的に洗い物を溜めないというルールを決めた。だからいそいそと片付けを。寝る前に歯を磨きながら片付いたキッチンスペースをみてうなずく。やはり空間が綺麗に保たれているって大切なことだ。気分がとても良いし、明日の朝を思っても爽やかである。実家に帰ればものをあちこちに置きっぱなしで怒られている私なので、親が私の家に遊びに来た時に驚いていたのを思い出す。自分の空間はとても丁寧に扱う勝手な奴は私である。起きたらベッドメイキングするし、掃除機はちゃんと毎日かけるし(これは親の習慣を引き継いでいる)、最近は洗い物を溜めないし、先日ベランダの冬枯れた植物たちも全て片付けて今はシンプルな見た目になっている。寝室の作業机の上にも勉強が終わったら必ず立てかけて直し、パソコンも必ず電源を落として使うBluetoothキーボードはデスクトップスタンドの下に片す。だから常に机の上もすっきりした状態。部屋はその時の心情を表すので、外的なところから綺麗にシンプルに保つことはとても重要。

 今年はもう新しく植える植物は買わないことにした。来年の目標が韓国に行くことなので、その間どうせ枯らせてしまうなら何も持たない方がいいと思ったのだ。私の好きな映画『Little Forest』の最後でも主人公のいち子がその年に出ていくことを決め「今年はじゃがいもを植えない、来年の冬はここにはいないから」と言う場面がある。ちょっとそれに近い感じなのかも知れない。私はまだ完全にここを離れるつもりはないけれど、それでも少しずつ心は東京を離れている。この家は大好きだから手放したくない気持ちでいっぱいなのに、この家が存在している東京からは心が遠くなっている。ここ数ヶ月でいえば休みの日でもこの家を離れること自体ほとんどないし、用事というのは美術館に行くか、あとは食材の買い出しなど超日常的なことばかりだ。出れば素敵なコーヒー屋も本屋も色々あることはわかっているけれど、何故か今の私を魅了するには何かが足りない。その原因はなんなのか、自分でもわからない。気持ちが韓国に向いているから、という問題でもないような気がする。何かが私の中で飽和して、もう入り込める隙間がなのかもしれない。昔から同じ場所に二年以上止まるのが難しい人間だった。それでカナダに住んだり、三ヶ月の旅に出たりした。今回は長くいるつもりだし、実行しているけれど、やはり元来の私は手足をバタバタと動かして私に合図を出している。心の向くままに生きればいいと思う。だけど無謀なことをできる歳でもなくなった。だから少しずつ起こしたい変化や欲望を「現実的なこと」に変えて、計画を遂行させるしかない。これだけでも、私にとってはずいぶんとした成長なのだ。

 リリー・フランキーは人が帰った後に自分の家でひとりになる寂しさが嫌だから、相手の家に遊びに行って帰る立場の方がいいと昔言っていた。私は逆で、人が帰ったあとの静けさが好きだ。私の友達の男は、バイバイするのが下手くそで、それまではとても明るいのに、別れ際には急に不器用になって未だに目を合わせてバイバイしてくれない。寂しいんだそうだ。その時の彼は、小さい子供のように見える。私よりも歳上の人だけれど、ベソをかきそうな子供に見える。そういう弱さが私には眩しく見える。いいなあ、と心が自然と呟く。そんな弱さが私にもあれば、私はもう少し孤独でなかったかもしれないと、なんとなくそう思う。だけど私には、そんな弱さもないし、孤独を嫌がる神経も備わっていない。人は本当にそれぞれだと思う。

 布団に入り目を閉じるとすぐに睡魔が襲ってきた。結局食べて呑み過ぎた胃が気持ち悪い。静かな部屋の中で真っ暗な世界を泳いでいたら、いつの間にか意識はどこかへいなくなっていた。


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