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食べる魚を変える

秋の魚( )、冬の魚( )の正解は

うちの中学生の期末テストの勉強を眺めていた。
「旬」「出盛り」「保存料」「加工食品」など、空欄に赤字で書き入れたたものを赤シートで隠しながら、家庭科の範囲のプリントの暗記をしていた。
ふーん、こういうのが暗記しなくてもわかるようになったのは、私も大人になったなあと思って見ていたら、旬の食材に関する箇所に、春夏秋冬の野菜や果物、魚介類の名前を( )の空欄があり、そこに食材を書き込むらしい。

秋のところに(さんま)(さけ)、冬のところに(ぶり)と書き込まれていた。
そこでふと、いくつかのニュースを思い出した。

魚がないんじゃない。サケがないんだ

私が住む首都圏のニュースでは、秋刀魚の水揚げ量の低下で値段が跳ね上がったことをキャスターが憂いていた。
スーパーに行くと、子どもの頃には大衆魚だったサンマが、なんだかちょっと痩せ細った様子で、高級魚と変わらぬ値をつけられていた。
こんなやせたサンマまで獲ってまで、秋なんだからといってサンマを食べなくちゃいけないだろうか。その横には、夏が旬のはずのアジが、丸々太ってピカピカに輝き寝そべっていた。どう見てもアジの方がおいしそうで、その日はアジを買って帰った。
そういえば、昨日仕事で偶然お会いした宮城・東松島の漁師さんが「サケが壊滅的です」とおっしゃっていた。魚がないんじゃなくて、サケがないんですよ、と。

走りの頃に値が張るのは昔からで江戸時代の諺に「初鰹は女房を質に入れても食え」というのがあるんだから、江戸っ子の初物狂いのバカっぷりがうかがえる。
でも今はそうじゃない。近年の海水温の上昇などが原因による魚の住む環境変化が指摘されている。

その一方で、人気の地方スーパーの特集で「たくさんの種類の地物のお魚が並んでますねー!新鮮でぜいたく!」と首都圏から取材に来たレポーターが嬉々としている。画面には鮮度抜群でよく太ったサバも、カマスも、そして私が買ってきたアジも並んでいた。どれを焼き魚にしても、きっとすごくおいしい。あの漁師さんが言っていたように、画面に中に魚はたくさんあった。

逆転していることに気づかなかった

「旬とは、出盛って、味が最もよい時」と辞書に書いてある。自然の中でたくさん獲れたものがあって、だからそれを旬と呼んだ。その順番でこそ「旬」が成立するのに、私たちは、秋なんだから旬はサンマに違いない、と先回りをして欲し過ぎてしまったのかもしれない。
「食べたい魚が食べられない」と嘆くべきなんだろうか。
楽しみにすることと、ほしいものを優先し過ぎることをごちゃまぜにしちゃって、(ほかのものが)あるのに「ない」という。食材に対して自分が強引すぎたことに、改めて気付かされる。

飢餓という社会課題を横目に、食品ロスは変わらぬ社会課題であり、捨てるほど食べるものに埋もれて暮らしている矛盾がある。
子どもに「食べ残しはもったいない。好き嫌いなく食べよう」なんて偉そうに言っているけど、自分だってものすごく選り好みをしているんだと、改めて気付かされる。

大抵のお魚は、鮮度が良い時の焼き魚なんて最高だ。魚種なんてあんまり関係なく。見たことなくて食べ方知らないと思った時は、焼いたら大抵おいしい。
レシピ、なんて難しくない。こんがり焼いて、ちょっと塩でもふればいい。

食べる魚を変えていくことで、魚という食材のおいしさを失わずに済む気がする。

秋イワシの梅煮のレシピ

マイワシ 5尾
塩 2つまみ
梅酒と水 各1/2カップ
梅酒の梅4〜5つ
しょうゆ 大さじ2
しょうがの薄切り 3〜4枚
ねぎの青いところ 1本分
大葉 適量

作り方の動画


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