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大人の歪みと子どもの涙


昨日、仕事で行った先での出来事。
呼び鈴を鳴らすと奥からバタバタと足音がして、2歳にならないくらいの男の子がお出迎えしてくれました。私が「こんにちは」と声をかけるとニッコリして「わぃ」って言いながらハイタッチのポーズをしてきたので私もちょっと嬉しくなって、小さな手のひらに手のひらを重ねました。


打ち合わせをしていると、元気良く騒ぐその子をその子のお母さん(その日のうち合わせの相手)が怒り出しました。最初は私の道具を触ったり、仕事の邪魔になるようなことをしたらからなんですが、私は特に迷惑と思ってなかったので「全く気にしないでください」と言いました。そのあとも、何度かそういうやりとりがあって、お母さんの口調はだんだんと激しくなっていきました。


「もう、何回言ったらわかるん!?」
「ちょっとあっち行っとき!」
「触ったらダメって言ったやろ」


悲しいけど...経験上子育てしてたら多少なりともどれもつい出てしまう言葉...だよなぁと思っていたところで、お母さんがついにキレてしまいました。


「どうして言うことがわからんのかね?」
「あんたなんかいなくなればいい」


そう言って男の子を抱き抱え、隣の部屋に閉じ込めました。お子さんは泣き喚いています。私はどうしたらいいかわからず、でもとにかくなんとかしなきと思って、それまでよりも強く「こちらは気にせず行ってあげてください」と言いました。そしたらお母さんはキッパリ言いました。


「やったらいけないことをしたんだからわからせないといけないんです。
口を挟まないで下さい」


でも、私もやっぱりその状況を無視できずもう一度だけ同じことを言いました。二度目は完全にスルーされました。お子さんは泣き続けています。

キレてしまった理由はお母さんの仕事道具をさわってしまったから...

そして10分ほど経って話が一区切りついたときに、お子さんを隣の部屋に迎えに行って、今度は大切そうに泣きじゃくるその子を抱っこして話しはじめました。


「わかった?今度やったらどうなるかわかっとるよね?」


男の子はお母さんに抱きしめてもらい、アンパンマンの飴をもらって泣き止みました。
私はそれ以上何も言えずにその場を失礼しました。


「しつけ」にはいろいろな考え方があると思います。
子どもを育てるってきれいごとばかりじゃないし、虐待との線引きのギリギリのラインで日々なんとか踏ん張ってる人も少なくないと思います。
今回の場合、ひょっとしたら私(第三者)がいない時は手をあげてるかもしれないなとも感じたし、何より「あんたなんかいなくなればいい」という言葉、その言葉の重さをお母さんがどれだけ理解してるだろう...とも感じました。

「あんたなんかいなくなればいい」

多分言葉としての意味はまだ理解できてないと思うけど、お母さんからそう言われた時の男の子の顔が頭から離れません。


昨日の状況ならどうするのが一番良かったんだろう?


昨日からもやもやしています。


子どもに辛くあたっていたところを書きましたが、そんなに子どもに辛くあたっていたお母さんからは我が子への愛情もたくさん伝わってきました。でも、どれだけたくさん子どもへの愛情があっても、きっと今のままならこの先もこのようなことが繰り返されるんだろうな、と。


自分の夢であろう仕事を始めるお母さん、それに伴って、本当は一番大切で一番大事だと思っている我が子が重荷になりキツくあたってしまう...

誰にでもありうるシチュエーションだよな、と思います。
子どもにキツくあたってしまう自分に辛くなるのか、自己嫌悪にもならずエスカレートしていくのか...いずれにしても幸せな光景ではないことは確か。


親になった経緯とか、そのほかもいろんな背景があるんだろうと思うけれど、どこまで考えてもやっぱり子どもには罪はなくて...大人たちの歪みの調整役にしてしまってはいけないと思うのです。
子ども達には笑顔の中で大きくなってほしいと思うのです。


だからこのモヤモヤは忘れちゃいけないと思うのです。

***

小さい頃と大人になってからで好みが変わるものってありますよね。
私にとって今日トップ画のボケの花もそう。小さい頃、じいちゃんがボケの花を大切に大切に育てていて、盆栽風のその姿を私はちっともかわいいと思わなかったのをなぜかすごく覚えています。

今はすごーくcuteな花だと思う。むしろ好きです。







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