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今の自分から最短距離でレベルアップする方法


とんでもない場所に来てしまった


とんでもない場所に来てしまった。
と思った。

新しい刺激にまだ興奮が冷めやらず、
心臓がバクバクしている。

胸がドキドキを通り越して
ドキがムネムネしている。

また飛び込んで、溺れないようにあがいて、
泳ぎ方を覚えるまで、しばらくかかるだろう。

怖いけど、ワクワクする。

新しいことにチャレンジするときは、
いつもそんな感じだ。

何のことかとお思いだろうが、
新たに参加することになった
スペイン語クラスのことだ。


スペインの踊り、フラメンコ好きがさらに進化して
スペイン語を習いたくなり、
近くの地区センターで安い講座を見つけて申し込んだのが半年前。

たった6回の講座では飽き足らず、
講師だった南米出身のネイティブの先生にお願いして
自主サークルを立ち上げて勉強を続けていたのだが
メンバー減少により今のサークルを休止し、
同じ先生が講師をやっている、
別のサークルに参加させてもらうことになった。

今日がその新しいサークルの初日。

このサークルはすでに発足から1年以上たっているが
先生の「大丈夫、すぐについていけるよ」
という言葉に少し気が緩んでいた。

自分が立ち上げたサークルの中では、
出来る方だったので、少し自信もあった。

しかし、
ここで頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。


新たに加わるサークルのメンバーは6人ほど。

先生は日本語があまり話せないので、気が緩むとすべてがスペイン語になるのだが、その調子でいきなりオールスペイン語でクラスが始まる。

わたしは私なりに自学自習で勉強もしているが、まだまだ知っている単語も少なく、ちんぷんかんぷんな文章の中から分かる単語を見出して、つなげて、意味を想像する。ほぼ気合だ。昔バッグパッカーでトルコに行き、英語が通じない場所で気合で意思疎通をしたのと同じくらいの集中力が必要だ。

そして私と、もう1人のメンバーが参加したことで
いきなり始まるメンバーの自己紹介。
 

事前の書き起こしもなく、みんなペラペラ話す。

そして分からない単語に「?」となっても、
どんどんクラスが進む。

聞こえてくる分からない単語の音を拾って、
スペルを想像して辞書を引き、なんとなく意味を取る。

こんなに必死で食い下がったのは久しぶりだ。

先生に、自己紹介をしてくださいと事前にいわれていたので
わたしの分は用意して行って話せたが、とにかく周りの話すこと、そして先生の遠慮ないバリバリネイティブぶりに、
あまりのレベルの高さに面食らってしまった。

いろんな脳内物質が出すぎて整理ができない。

ブログなんて書かずに、
今日の復習をしようと思ったが、胸と頭がいっぱいで手につかない。
アタマがショートして、煙が出ている。
この興奮のまま、感じたことを文字に起こしてみたい。


場違いの場所に、飛び込んで溺れた過去


とんでもない場所に来てしまった、
と思ったことは、前にもあった。


出産で休んでいたフラメンコを再開して、もっとレベルアップしたいと思い、上のクラスの門をたたいたとき。

初級クラスで優しかった先生が、中級クラスでは別人に変貌し、とんでもない足さばきを見せて「はい、やって」と素で言う。

日本人による日本語のクラスだが、あまりのレベルの違いに頭がくらくらした。当然ついていけない。しかし、周りのメンバーはこともなげにその目に見えない速さの足さばきを一瞬で軽々と再現してしまう。

毎週愕然として、重い気持ちと足を引きずって、泣きたくなるような気持ちで家に帰った。

日本なのに、日本じゃない、なんだかよくわからず、いきなりスペインのクラスに放り込まれたような気分になった。自分だけ1人、ついていけてないことがショックで、悔しいけどどうにもならなくて、溺れていく自分。

当時は別のブログにその気持ちを綴っている。

文体が違うが、そのまま引用してみる。

今週も行って来ました、フラメンコレッスン。

発表会後にクラスが上がってからは
もうついていくのが大変。

ああ、発表会のころが懐かしい・・・

でも
あの楽しかったクラスを出て
上のクラスに思い切って入ったのは

自分を追い込む

のが目的のひとつで・・・

心地良すぎる場所にいると
人間やっぱり向上心が芽生えないんだよね・・・

前いたクラスでは
忘れても先生が丁寧に教えなおしてくれるから
覚える気もなくて
自宅練習もしなくて・・・
それで満足しちゃってた

でも発表会のDVDとか見ると
自分の下手くそさに凹んだり
うまい人見てカッコイイ!と思うし、

やっぱりもっとうまくなりたい!!と思った。

そのためには
心地よい場所を飛び出して
自分を追い込むしかない!と決意した。

追い込まれるからこそ
必死にやるし
それで気付いたら
レベルアップしてる・・・ってことありません?

だからフラメンコじゃなくても

ここぞって時には
「追い込む」ってこと
必要じゃないかなって思うんだよね。

と、格好いいこといってるけど
実際は毎回冷や汗もんです(涙)

周りのクラスメートは
複雑な振りもすぐに覚えちゃうし
ものすごい速い足も
きれいな音でタカタカ・・・と打つし
もう劣等感でいっぱいだし
先生にも出来てないのバレバレだし
毎回恐ろしくて自分を鏡で見たくなくて
ちょっとうつむきがちだけど(苦笑)

思惑どおり
自分、追い込まれてます(笑)

自宅で練習しないと
全くついていけない!

アタマではわかっていても
速い足を打つための
筋肉が足りてない!

って
自宅で振りの確認したり
駅のホームでタカタカやったり
ちょっと筋トレ的なことやってみたり

毎日少しでも何かをやろう、と頑張ってます

時間はたくさん取れないし
今日やったからといって
すぐに上達するもんじゃないけど

いまできることを
一歩ずつ積み重ねることを
やったか、やらないか?で

2年後の自分は
確実に違うって
信じてみる。

この文章を書いたのは、6年前。
今よりも若かったし、劣等感も強くて
「下手くそなのに分不相応なクラスに入ってきた」
と思われているんじゃないかとビクビクしていて。

でも絶対に辞めたくない、と歯を食いしばってついていった。


きっとそのクラスの中では一番下手くそだったけど、
このクラス入った2年後、発表会にも出た。


このクラスにしがみついていた真っ最中に、乳がんが見つかり、抗がん剤を打ちながら、抗がん剤で禿げ散らかした頭を、ロングヘアのウィッグで覆い、発表会に出た。

とにかくやってやる、叶えてやる。
できることを私が証明してやる。

と必死だった。

付けられた振りがちゃんとできていたかといえば、できていなかったが、これが私の精一杯だった。

わたしが通っている教室の発表会は2年に一回のペースで開催される。
それに合わせて群舞の振り付けが完成する。

最初に必死で踊っていた2年後、また違う踊りで発表会に出た。


この曲の振り付けが始まったころはまだ抗がん剤の真っ最中で、さらにメンタルに大打撃を食らって、ほとんど生きてるか死んでるか分からない状態のまま、「辞めたらおしまい」だと思って、なんとか通っていたので前半の記憶があまりない。ただその場でなんとか息をすることを持ちこたえている感じだった。

後半になって、発表会が近づいてくるころには、病気やそれに伴うメンタルも少し浮上しはじめ、なんだかレッスンが楽しくなってきた。ちょうど習っていた踊りの曲「喜び」という意味の「アレグリアス」で、下手かうまいかは関係なく、自分が生きている喜びを感じられたタイミングでの発表会だったので、喜びを思い切り表現しようと思って踊り切った。

そして2年前から、今度11月の発表会に向けて振り付けを進めて、そろそろ大詰めの踊り込みに入るところである。

新たな場所に飛び込んで、溺れてもがいて、息苦しかったのが、だんだん息がしやすくなってきたのは、2年前から。

ドボンと深い池に飛び込み、溺れないように必死でもがいていたのが4年かもあったことになる。乳がんで治療もしていたのに、よくぞ辞めずにいた。上達はさておき、自分のド根性を褒めたい。


レベルアップするなら、思い切って飛び込んで、溺れないようにもがくしかない


あのド根性から5年、昨年は例のウィルス騒ぎでいろいろと大変だったが、去年なんとか開催したミニライブで、先生からお声がけをいただき、初めてのソロを踊ることが出来た。出来栄えは満足いくかといえば、改善点しかないが、6年前の自分と比べたらものすごい進歩だ。

6年前の自分が書いた

いまできることを
一歩ずつ積み重ねることを
やったか、やらないか?で

2年後の自分は
確実に違うって
信じてみる。

という言葉は
ちゃんと自分に還ってきていた。

2年の間に乳がんも見つかり、
予想していた2年後は、まだ溺れていたけど、

なんとかやっていけるようになった。

この経験から、とんでもなくレベル違いに感じる場所に飛び込んでも、自分はなんとか溺れないようにもがいて、時間はかかってもそれなりになんとかなる、という自信がついた。

だから今回のレベルが段違いのサークル参加も、とんでもなく大変なことは予想できるが、とんでもなく怖くて、とんでもなくワクワクする。

これにしがみついて頑張った先の自分が予測不能だからだ。

絶対にしがみついて、溺れながらもがいてやる。
がんばりたい。

つくづく勝気な私に苦笑しながら。


レベルアップへの近道は、これしかない


自分を今の場所から最短速度でレベルアップさせるには

「段違いの場所に飛び込んで溺れないようにもがく」

のが一番早いと思う。

要は理屈はそこそこに、
実践から入る、ということだ。

もちろん、そのまま溺れて挫折してしまっては元も子もないので
レベルは自分で選ぶべきだ。


歯を食いしばってついていこう!と思えば、なんとかなるか?と自分でほんのり思える程度の場所でないと、ただの挫折を味わうことになる。

そしてもう一つ大事なのが
「それを頑張ってまでやりたいかどうか?」という
自分の意思があるかどうかだ。

これが、一番大事な部分だ。

もし「やりたい」と思うなら、
思い切ってレベル違いの場所へ飛び込めばいい。

努力をせざるを得ないし、
結果は後からついてくる。

これを書いているのは所信表明でもある。

こうやってまた新たなチャレンジをして、
必死で食らいついて、
たとえば1年後、続いているかどうか。

もし続いていたら、
わたしのスペイン語の力がどう変わっているか。

続けることは義務ではない。
でも、自分の変化が楽しみで仕方がない。

もし、飛び込んでみたい場所があるなら、一緒にもがこう。
それがたとえ、他人から見たら小さなことでも、
自分にとってのチャレンジは、自分の人生にとって大きな意味がある。
きっと今まで想像もできなかった世界が、目の前に広がるだろう。

今日もお読みいただきありがとうございました!

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