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波長が合う人は、久しぶりに会っても違和感ゼロだなと思った件

最近、コロナ禍の自粛ムードが少しゆるんで、人と会う機会が増えた。


そのなかで思うことは、波長が会う友達とは、どんなに長い間ごぶさたしていても、まったくその時間を感じさせず、すっと当時の関係に戻れるなぁということ。当時にタイムスリップしたような気分になる。


先日会った、高校時代の親友とは、知り合ってなんと30年以上経つ。仲良し3人組で会うのは数えてみたら5年ぶりだったのだが、久しぶり感がほとんどないことに驚いた。「久しぶりー」の言葉もないまま、いきなりマシンガントークが始まる。


ほんとうに30年も経ってるなんて恐ろしいねと言いつつ、話題は確かに高齢になった親の話や子どもの話なのだが、ノリが全く変わっていない。いまと昔をタイムスリップしているような感じだった。


そして今日は、フラメンコ教室の友達と一緒に衣装を見に行ったのだが、その友人とも実はものすごく久しぶり。


今のフラメンコ教室に入ったときのクラスメイトだが、ご主人の転勤で海外に行き、滞在7年、つい昨年帰国したばかり。帰国してから7年ぶりに会ったのだが、久しぶり感もなく、昔のまんまのノリで話が弾んだ。


そういえば大学時代のアルバイト先のマスターや友達も、昨年20年ぶりくらいにあったけど何も変わってなかったし、大学時代の友達と10年ぶりに会ったときも変わらなかった。


息子が幼稚園に入る前に一緒だったママ友とも、子どもが大きくなってからひょんなことから会うことになり、そのときもやっぱりノリがあって、それ以来またときどき会うようになった。


わたしはものすごく人見知りだし、気が合わない人とは何を話していいか一切分からなくなるのだが、いったん気が合うなぁ、と思って意気投合すると、話題が尽きなくておしゃべりが止まらない。


それは時を経ても変わらなくて、ものすごく久しぶりに会ったのに、つい昨日も会っていたような感覚で話すことができる。


逆に、当時は仲良かったのにだんだん疎遠になり、ぱったり連絡が途絶えるパターンもある。


思い返してみれば、そういう相手とは、なんとなく当時は環境とか生活スタイルが似ていたり、職場の同僚だったりで、その人といるのが一番良かったけど、実はめちゃくちゃ心底波長が合っているわけではなかった、というパターンなのかなと思う。


わたしは好き嫌いがハッキリしているので、好きだなぁとか、会いたいなぁと思う人には、どんなに久しぶりでも躊躇せず声をかけるし、きっと会話に詰まるだろうと思う相手には声をかけないので、会話に距離感を感じない人にしか声をかけないので当たり前かもしれない。


だけど、歳を重ねるごとに、そうやって昔の自分を知る人と久しぶりに会って、昔のままの感覚を持ったまま、お互いのいまも楽しく過ごせる相手が増えていって、なんだか楽しい。


歳を取るのも悪くない。
それどころか、歳をとるっていいことがたくさんあるな、と思う。


もちろん体形が崩れたり、肌がくすんだり、健康に気をつけなきゃいけなかったり、体力が落ちたり、あれこれ問題も出てくるけど、いままで歩んできた人生の中で、楽しかったなぁと思う瞬間を取り出して、その人と会って楽しい時間を過ごせるって、贅沢な時間だなぁと思う。


人付き合いをするのは、トラブルもつきもので、嫌な気分になることも当然あるけど、数々の出会いの中で、こうやって自分らしくいられる人と楽しい時間を過ごせることができていて、幸せだなと思う。


そしてコロナ禍、人と会うこと自体を「不要不急」として控えなくちゃいけなかったけれど、わたしは人と会うこと自体、健康的な生活を維持するのに、とても重要なことだと思う。


その場の空気感やその人の雰囲気。オンラインでは補えない何かが確実にあって、充実感が生まれる。


実際に自粛生活を強いられたことで、オンラインで済んでしまうことと、そうでないこと、がそれぞれハッキリしてきたかな、と思うが、人と会うことはわたしにとっては不要不急どころか、いちばん重要だと思う今日この頃だ。


今日もお読みくださりありがとうございました!

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