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人見知りの私が、初対面の人といきなり急接近してしまう魔法

実は、めちゃくちゃ人見知りだ。

気が合いそうだ、と感じた相手となら何時間でもエンドレスで話せるのだが、そうでない相手だと話が3分も持たず、頭の中で「何話そうかな」となってしまう。

沈黙が嫌いなので「何話そうかな」となるのだが、「何話そうかな」と考えてる時点でネタ切れなわけで、そのあと出てくる話題は天気の話くらいしかない。その時点で詰んでいる。

ただ、こんなわたしでも、初対面だろうがなんだろうが話が盛り上がる場合がある。

「マニアックな共通点」を見つけた瞬間、運命を感じる

それは「マニアックな共通点」が共通の場合だ。

わたしの場合は自分がハマっている「フラメンコ」をやっている人に会うと、他人とは思えない。

地獄で仏、いや日本人が誰もいない外国で日本人を見つけたときのような、もう、初対面の他人ではなく「いきなり仲間」感覚になる。

マニアックな趣味は、いろんな用語が出てくるので、その世界を知る相手としか話せない。自分的には10年くらいやっているので日常の一部だが、世の中的にはかなりマニアックらしい。

フラメンコを習っていると、必ずフラダンスと間違われるので「ハワイじゃなくてスペインの踊りです」と修正し、そのあと必ず「バラを咥えるやつね」と言われ、それを「くわえませんから」と修正するお約束問答がある。

ちなみにフラメンコは薔薇をくわえない。おそらく昭和の時代についたイメージから更新されていない。

別にわざわざ修正する必要ない気がする方もいるかもしれないが、フラメンコをやっている人たちにとってはこの誤解は大問題だ。
 
フラメンコにハマっている私たちは、フラダンスのような平和なイメージと真逆の複雑なコンパス(リズム)をあえて選んでいる。

そしてバラをくわえてフニャフニャ踊っている昭和のイメージで語られては黙っていられないくらいのカッコ良さに憧れてフラメンコを習っている。

だから他人からしたら軽い誤解に思えるようなことさえ沽券にかかわる。大問題だ。なので、このさまざまな趣味があふれる中から、あえてフラメンコを選んで続けている人とは何かしらのシンパシーを感じる。

そして「フラダンスでなくフラメンコ」とか「ハワイでなくスペイン」とか「バラはくわえません」とか説明することなく、いきなりそのマニアックな話題に入れるのも、親密感が増す理由だ。

たとえば初対面の人がフラメンコをやっていたとすると、
いきなりこんな会話が始まる。

A「今は何のヌメロ(曲)を?」
B「グアヒーラ(という曲種)です」
A「あ、じゃあ、アバニコ(扇子、フラメンコの小道具)使ってます??」
B「そうなんです~、うまく回らなくて」

みたいな話ができる。


おそらく知らない人には「?」な会話が、導入の挨拶になる。

お互いの習っている教室の情報交換だったり、イベント情報だったり、自分の習っている踊りだったり、話すことが尽きないので、いきなり急接近してしまう。共通言語を持っているというのはこれほどに強い連帯感を感じるものだ。

「乳がん」という共通語もしかり

そういえば乳がんの手術で入院していたときもそうだった。わたしがお世話になった病院は、「がん専門病院」だったので、この病院に来ている患者さんは少なくとも「がん疑い」、ほとんどの人は「がん治療中」または「がん経験者」である。そんな中なので、がんである自分が特別扱いされることがなかったし、逆に乳がんなんて、内臓のがんや血液のがん(白血病など)に比べれば「ひよっこ」らしく、まだ「がん患者」の入り口にも立っていないような扱いを受けていた。

それが私には意外と心地よく、いまでも定期健診でこの病院を訪れるのに悪い気がしない。「仲間のいる場所」という風に感じる。

そして「がん」患者の中でもひよっこクラスの「乳がん」病棟に入院していた頃は、術後すぐから毎日決まった時間に病院の廊下で、腕をあげるリハビリがあったり、術後のブラ講座だったり、リンパを取った人のためのリンパマッサージ教室だったりといろいろな企画が開催されていた。そして当然興味津々なわたしはすべてに参加した。

リハビリの時間はいわば「乳がん患者の社交場」である。全員「乳がん」であることが前提なので、はじめましてのあいさつ代わりに「どっち側?」と手術の胸を聞き、「温存?全摘?」と術式を聞く。これまたマニアックな世界だが、全員が同じ病気であるという安心感で、とてもオープンな場だった。

さらに乳がんという病気は、本当にごくたまに男性もかかるが、基本は女性ばかりだ。術後ブラ講座なんかは、女子校ノリで、大盛り上がりだった。

看護師さんの説明に乳を手術した女どもがワーワーキャーキャーと集い、ブラを手に取って、デザインが可愛いだの、ダサイだの、あーでもない、こうでもないと騒いで楽しかった。

世の中的には多いといわれているが、自分の身の周りにいない、程度のマニアックな共通項は、人の仲間意識を芽生えさせる。

入院中に知り合った、一番病状も年代も趣味嗜好も似ていた人とはとても仲良くなり、抗がん剤を打っている最中にランチビールを飲んだりしていた。

とにかくマニアックな共通項でつながった相手は、前提自体がマニアックなので、はじめましての相手でも他人とは思えないものだ。

マニアックな共通項の掛け合わせは、もはや運命

マニアックな趣味や、マニアックな経験の共通項は人の仲間意識を芽生えさせるのだが、その共通項が「2つ」重なったときの衝撃っぷりはハンパない。

わたしが抗がん剤を打ちながら、フラメンコの発表会に出たことは、リアルタイムで別のブログにアップしていたのだが、実のところ、発表会に出るまでは、抗がん剤を打ちながら、本当にフラメンコの発表会なんて大丈夫だろうか、と不安で仕方なかった。

病院の先生に聞いても、「抗がん剤を打ちながらフラメンコやりたい」という相談に前例がないらしく、「できるならいいですけど無理がない程度で」という無難なアドバイスしかもらえない。

病院内のアピアランスセンター(抗がん剤による抜け毛など外見に関するアドバイスをくれる場所)で、「ズラでフラメンコの発表会に出られるか」とか相談しに行って、激しく踊ってもウィッグが飛ばないような対策の相談とかしてみたら、こちらは前向きに病気を乗り切るための応援部署なので、「ぜひ出ましょう!」と応援してくれて、治療中はそこで泣き言を言ったり、具体的な相談をしたりと本当にお世話になった。

同時に、誰か同じような経験をしている人はいないか、毎日のようにググっていた。「フラメンコ 乳がん」とか「乳がん ウィッグ フラメンコ」とか検索しまくったが、全く検索結果に求めていたものは出てこなかった。

なので、だったら私が書こうと思い、結局抗がん剤を打ちながらフラメンコの発表会に出て、そのことをブログに書いたところ、わたしが検索しまくったようなキーワードで検索をし、わたしのブログを見つけてメッセージをくれた人がいた。

その方も乳がんで、抗がん剤治療をこれから始めるが、昔やっていたフラメンコを再開したい、抗がん剤を打ちながらフラメンコをやっている人はいないかと探して私のブログにたどり着いたそうだ。

メッセージのやり取りをして、自分の経験を話したら、だったらやってみる!と仰って、フラメンコ教室に話をして、先生の理解を得たうえでフラメンコを再開した。

もう、こうなってくると、他人ではない。同志だ。

自分のブログが微力ながら彼女の背中を押した気がして、本当にうれしかったし、一度ぜひ彼女の舞台を観たいと思って、彼女の発表会にお邪魔した。

わたしのようにウィッグではなく、ターバンを巻いて踊っている彼女は本当にまぶしかった。

現在は都内在住で忙しい方なので、ネットで近況を知る程度なのだが、それでも私の中ではすでに彼女は他人ではないのだ。ソウルメイト、とかいうと微妙にスピリチュアルっぽくなるが、もうそんな感じだ。


共通項を持った人とたくさんつながりたい

マニアックな共通項で知り合った人の中でも、当然自分と気が合うかどうかというのは重要で、その後の付き合いが継続したりしなかったりするのは、ふだんの友人関係と同じだが、それでも、同じものにアンテナが立つということは、その部分の感性はその人と似ているわけで、やはりなんとなく「仲間の入り口」に立っているような気がする。

それは病気もそうだし、同じ映画が好き、とか同じ画家が好き、とかそういう共通項でもなんでもそうだ。

わたし自身も、フラメンコや乳がん以外でも、スペイン語つながり、だったり、ひとり旅つながり、だったり、バッグパッカーつながり、だったりといろいろな共通項で知り合った友人がいる。

やはり気が合う友人とは、感性が似ている、価値観が似ているというのが大きいが、共通項というのはその一端が似ているということで、そこから話が広がるのは当然だ。


自分の好きなことに時間を使おう

最初に、人見知りだといったが、それは「人間」とか「同じ会社」とか「ママ友」とか以外に何の共通点もない場合に、あたりさわりのない会話ができない、ということだ。相手に興味が持てないけど、沈黙が怖いからあたりさわりのない会話をひねり出しているということだ。

こうやっていろいろ書いてきて、自分の頭の中の整理がついたが、会話をひねりださないといけないような相手と、無理やり会話する時間をする必要は果たしてあるのだろうか、と思った。

そんな暇があるのなら、自分の好きなことを、好きな相手と語りたい。またはこうやって自分の伝えたいことを世界に向けて発信したい。


「共通項」でつながるSNSという翼

今や、SNSが普及して、同じ共通項を持つ人とつながるためのツールは山ほどある。昭和の片田舎でぼっちだった自分が、今やこんなに共通項のある人とつながれているのはSNSのおかげだ。

リアルな世界での出会いも当然大事にしているが、ネット上で共通項を見つけて知り合った人も大事にしたい。このnoteを見てスキをくれる人や、フォローしてくれる人、コメントをくれる人、それもみな私の記事を読んで、何かしら「いいな」と思ってくれた人だ。こういう出会いも大事にしたいなと思う。

人見知りな性格は、ときどき疲れてしまうことがあるが、ことSNSに関しては、「世間話をひねりだす」必要もないので自分には合っているツールなのかもしれない。

そして私がマイナスに感じていた「人見知り」な性格も、自分の時間を無駄遣いしないための大事な機能であるのかもしれない。

今日もお読みくださりありがとうございました!





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