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わたしのゆるされる場所

ゆるされる場所がある。

それは近所の喫茶店、井の頭恩賜公園、天気のいい日に乗る電車の隅のシート、夜に雨の降るなか向かうコンビニへの道。そこではわたしは匿名性をもって世界に静かに受け入れられる。

家のなかではときどきゆるされない。それは仕事の締め切りが、他者とのかかわりが、わたしの感情が、家のなかの何かがわたしを責めるように感じるからだ。いつもの椅子が今日はしっくりこない、そんなとき、わたしはゆるされる場所へ向かう。

雨に濡れた花と珈琲の香り、やわらかなピアノの音色は、そんな日にとてもやさしい。いつもあわてていて気がつかないささやかな気配が、ぽつ、ぽつ、とともり、わたしはそのなかで大きく息を吐く。

雨の合間に顔を出す日差しは、わたしが生まれた瞬間に感じた、あのときの光のようだ。大人になったわたしは目を開けてはっきりとそれを見ることができる。あれはこの世の光だ。わたしは、いま起きているうつくしい現象を理解することができる。

そしてわたしは家へ帰る。わたしの家はきっとわたしをやさしく迎えてくれる。

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5月に心惹かれた植物たち

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