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枠組みを外す

絵の仕事をするかたわら、短い小説(のようなもの)を書いている。仕事ではない。書いたほうがいいと言われたから書いている。

昔から本が好きで、と言うひとの話を聞きながら、憧れと劣等感をおおいに含んだまなざしでいつも見つめていた。本が好きだと意識したこと自体なかったし、あらすじは全然思い出せないし、これといったエピソードもない。ほんとにない。草生えるくらい。

でも、本はいつもそばにあった。
小学校の図書室、大学の図書館、地元の小さな本屋さん、好きなひとに選んでもらったこともあった。いろんな本を手に取って読んだ。もちろんマンガも。そしていまの自分の思考の礎となったのは、間違いなくそのときに読んだ本だ。読んだ本の量は多くはないけれど、本から得たパワーはものすごく大きい。

その中でいま、よく思い出すのは図書室や図書館のことだ。どんな気持ちでそこに通っていたか、どんな気持ちで本を読んでいたか、ずいぶんほこりをかぶってしまったけれど、目を凝らしてじっとみていると、わきあがってくる感情がたくさんある。

文芸作品の装画を依頼されるとき、ページをめくっていたときの自分の気持ちをあざやかに思い出す。書店で、図書室で、友人から借りて、この本を手に取り、どこかで一人静かにページをめくるひとはどんな気持ちでいるのか、本を読み終えたあとどんな顔になるのか、そして自分が絵を使ってできることは何かを想像する。このとき、絵に託す気持ちは、ギフトという言葉ととても近い。わたしにできることは限りがあるけれど、どこか遠くにいる誰かに手を振りながらギフトを贈る、そういう感覚がある。これはきっと前回の個展と同じ。

そして、絵を描いたあと思うのは、これをいろんな形に託したいということ。仕事の枠を超えて縦横無尽に行ったり来たりしていた昔のひとたちを思う。

なにがうまくいくか、効果的なテクニックはあるか、そういうことばかりにとらわれていると、自分の気持ちが見えなくなる。最後までともに生きるのは自分だけだからこそ、いったん論理の枠組みを外して、その中に座っている自分を抱きしめることが必要、と思う。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。