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うなぎとわたし

見たいものがあって川越へ行った。「小江戸に観光」というわけではなかったのだけど、思いがけず蔵の街(蔵が数多く並ぶ風情のある場所だ)に通りかかった。

ちなみに、「思いがけず」というのはかっこつけて書いているわけではない。方向音痴と土地勘のなさゆえに、駅から目的地までのあいだになにがあるかがあまりわかっていないせいだ。一度氷川神社に風鈴を見に行ったことがあって、川越を訪れるのは二度目のはずなのにいまいちよくわかっていない。そういうことがよくある。困ったもんだ。

だがよく考えてみると、これは二度おいしい的なやつかもしれない。新鮮な気持ちでバスの中から蔵の並ぶ街並みを眺める。

隣り合わせた大学生の女の子たちが、狙っている男の子について話している。「夜、電話したいって言ってもいいのかな」「もっと踏み込んだ話をしてもいいのかな」など、楽しそうに話している。ひさしぶりにそういう話を聞くなあと思いながら自分のことを思い出す。いつもどこか恥ずかしかったこと。

いまの自分は「中途半端」だと思っていた。いつかすてきな女の子になれるような淡い期待も持っていた。だから、いまこの瞬間の理想から遠い自分のことがいつもどこか恥ずかしくて、自分なんかと思うことが多かった。

いまでも「中途半端」や「道半ば」だと思う瞬間はしばしばある。創作のために生活の拠点を地方に移すひとや、活躍しているひとを見たとき、自分には「何か」が足りないから、あるいは努力の方向性が本来あるべきものと違っているからこんなふうなのではないかと思ったりする。

でも、「中途半端」って、じゃあいつになれば「完璧」や「正解」に到達できるんだろう?そう自分に反問してみると、いや、作るって、生きるって、ずっと試行錯誤で中途半端じゃね、というところに落ち着くのであった。

そうそう、それで川越の話。バスの運転手さんがおすすめのうなぎ屋さんを教えてくれたので、なんとなく行ってみることにした。家族連れでにぎわう店内で、座敷の4人席に一人座って待つこと20分くらい。体感ではずいぶん長く感じられて、じれたわたしは夫に「ノリでうなぎを食べることにしました」とLINEした。「ノリはとても大事!」と返事が届いて、高いものを一人で食べることへの居心地のわるさがきれいさっぱり消えた。うまいもの食べる。わたし。一人で。ありがとうございます。

満を持して現れたひつまぶしを4つに分け、おすすめの食べ方(①そのまま、②三つ葉とわさびを入れる、③出汁を入れる、④好きな食べ方)で食べた。さすが天保から継ぎ足してきたたれだ。うなぎもふんわりとしてとてもおいしかった。うなぎは食べたあとに気持ちも元気になるので好きだ。末永く大事に食べていきたい。

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