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夢の効用

人の見た夢の話はつまらない、とよく聞きます。たしかに、自分の見た夢について話しているとき、相手(夫)の表情を見ていると、残念ながらそうなのかもと思うことがあります。

とはいえわたしにとって、折々に見る夢は意味のあるものです。夢で見るエピソードは、現状の自分の心象を象徴的にあらわしていることが多く、目が覚めたあと思い返してみて「なるほど今のこれをこういうふうに表現していたのか!」とひざを打つこともしばしば。自分の姿を客観的に見られる、という意味で、わたしにとって夢はとても大切なものです。

たとえば今日見た夢はこんなものです。

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手足の長い男の子を引き取り、一人で育てることに決めたわたしは、ドラッグストアへ行って紙おむつを購入しようとしたが、取り扱いがなく断念する。でも、わたしはなんとかしてこの子を育てよう、とつよく決意する。男の子は歩いているうちにその背がだんだん高くなり、気がつくと10代くらいのすらりとした男の子になっている。男の子は思慮深く、大人のように会話できる。
帰宅した家には小さな犬や小鳥やいろいろな生き物の赤ちゃんがいる。これは全部自分で育てると決めたらしい。とてもかわいいけれど、こわい。家族になんて説明しようか、受け入れてもらえるのか、不安な気持ちがつのる。
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いま、自分の心の中で育てていることがいくつもあります。その実りを待ちわびると同時に、不安もあります。理解してもらえるのか、受け入れてもらえるのか、自分にとってこれは正しいのか、とか。

自分のやることを自分で決めて、進めて、人に見せるということはとてもスリリングで楽しい一方で、不安でたまらないことがあります。それをこんなふうに映像として見せられると、なんだかひとごとのようにおもしろく、ちょっと冷静になれるような気がします。

おまけ:
お口直しに、今日のような雨の日に読みたい夢の話、出しておきますね。
夏目漱石『夢十夜』

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