多様性の前に〝らしく〟生きる
私は思う。
成功している人や今の自分に満足している人、幸せだ!と思いながら生きている人は、
男らしさ
女性らしさ
など自分の(生きたい)性を大切にしている。
それは社会やメディアから押し付けられた〝らしさ〟ではなくて、
自分が本来持っている性質を大切にしているという意味。
かっこいい男で在りたいとか
エレガントな女性で在りたい
というような、抽象的な在り方の目標をみんな持っていて、具体的な行動に落とし込んでいる。
そしてそういう人たちは、男性で在ることを、女性で在ることをとても楽しんでいる。
だから同性に憧れられているし、
個が際立っている。
で、
男らしさとか女らしさなんて話しをすると、
今は多様性だ!とか
男女平等だ!だから◯◯らしいなんて時代錯誤だ!と、語気を強めて言ってくる人がいる。
語弊を恐れず言うと、
私はそう言って語気を強めている人たちに魅力をあまり感じない。
個を感じないことも多かったりする。
もちろん男だからこうしろ、女だからこうしろっていう押し付けはよろしくない。
でも、みんな平等だから〜と均して同化することはもっとよろしくないと感じている。
それは一見何かを尊重しているようでその実、個を消しているように感じるから。
個が際立つから、個として在るからこそ多様性という概念が意味を持つ。
男性も女性もない、みんな平等だ、だかららしさとかそんなものはメディアが社会が作り上げた虚構なんだからなくしてしまえ!みたいなのはちょっと違和感がある。
男性と女性にはこれでもかって程違いがあるよ。
考え方も捉え方も全然違うよ。
身体が違うのだもの、そりゃ当然。
もちろん権利やチャンスは平等であるべきだけど、なんでもかんでも平等を押し通すのは少し違うと思う。
ちゃんと違いを認めることが大事なのだと思う。
当たり前なのだけど当たり前になってないから多様性とか男女平等って言葉が一人歩きしているのだと思う。
多様性を機能させるために必要なことは、制度とか枠を定めることもある程度必要なのだけど、
ちゃんと個として在る
ということが大前提なのだ。
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