ローランドに学ぶ〝俺〟の輪郭の作り方✨

私は!の輪郭がぼやけるとワタシを見失う。

ワタシがぼやけるからだ。


日本人はとかくカテゴライズすることを好むしそんな風潮がある。

◯◯系、〜タイプ

そこに自分を当てはめてなんだか安心感を覚える。


でもそこに個人の個性や魅力は存在しない。


統計学だからだ。


その他大勢を分析したらこのようになりましたというデータでしかない。


もちろん当てはめて自分の傾向を知る鍵にはなる


けれど、それはイコール私!にはならない


所詮は

私以外の人間のデータだからである。


そして、カテゴライズされて安心するとしたら、じゃあそれまでは安心していなかったということがわかる

所属欲求がある人間にとって何かに属したいのは当然の本能だけれど、それにしても…



すると、そのカテゴリーやグループに当てはめて人を見ることになる。

この時点でありのままのその人を見るという視点は存在していない。

さらに、そこからはみ出た人に対してまた何事かのレッテルを貼らなければならなくなってしまう。

学校というグループからはみ出たら不登校
空気を読んだコミュニケーションが出来なければコミュ障
一時期流行った未婚の女性を負け犬であるとしたラベル

その反対側には

学校には行かなくてはならない
空気は読まなければならない
結婚しなければ価値がない

そんな社会、国レベルでのカテゴライズ、ラベリングで枠に入らなければならないであろうという

思い込み。


生きづらさの原因はそこにある。



私!という個ではなく、グループやカテゴリーに属するというのが優先される。



ワタシの輪郭がぼやける、それはつまり思考も感情もぼやける。

つまり本心がわからないという不思議現象が起こる。


自分で判断することができなくなる。

自分のことなのに!


だから、


ローランドの俺か、俺以外か、の言葉が示す通り、


私は!を意識することで(強烈に)、ワタシの輪郭をくっきりはっきり浮かべるのだ。


その輪郭こそが個性であり、魅力であり、強さであり、生きる力になる。


私は!これが食べたい
私は!ここに行きたい
私は!こう感じた
私は!この服を着る

小さなことでも、そこに意志を伴わせること=心を込めることが、〝私〟の輪郭を作り、生きる力となる。

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