子育て支援のボランティア団体で一緒だった50代の子育てを終えた世代の方々から、第一子の妊娠中によく言われていたのが、「子育ては”待つこと”」ということ。大学の教育学科で幼稚園、小学校教諭の資格も取得し、子どもの教育の専門家だと勝手に思っていた私には、いまいちこの言葉の意味がわかっていませんでした。子どもが生まれたら、「英語は小さいうちからやった方がいいからまずは英語」「絵本もいっぱい読んであげたい」「音楽もやらせたいし、スポーツも小さい頃からやった方がいいかも」というように、「与えること」ばかりを考えていたからです。

 当時は子どもを産むと退職する女性が多かった時代。サラリーマンの共働き。子どもが生まれてからの生活、それも職場復帰してからの生活は、子どもに「あれもやってあげたい」「これもやってあげたい」と思うことが何もできないジレンマで毎日イライラ。日々、時間との戦いで、朝も鬼の形相で「早く!」と叫びながら支度をする、保育園の帰りもあちこち寄り道をするわが子に「早く!」とせかしながら帰宅する。お手伝いをしようとしてくれる子どもが失敗すると「仕事が増える」とため息をつき、いつしか、「仕事が増えないように」「子どもが失敗しないように」なんでも先回りをしてやってしまうようになっていました。

 すると、やらなければいけないことがどんどん増えていき、余裕がなくなるという悪循環。そんなある日、ふと、妊娠中に言われた「待つ」ということを思い出しました。子どものペースに合わせて、待ってみたらどうなるのだろう?

 「待つ」ということを意識してみると、子どもたち、そして私自身の心に変化が現れたのです。まず、子どもたち。元々自分でやりたいというタイプだったので、やりたいことを見守り、待つという姿勢に変わると、情緒が安定していきました。そして私はというと、今まで子どものことを何も見ていなかった自分に気づき、「あ~、子どもたちはどんどん成長していて、こんなことはできないだろうと思っていたことも、失敗しながらもできるようになっている」ことに気づいたのです。

 「待つこと」は自分がやるよりも多くの時間が必要になります。さらに失敗をしたり、子どもが嫌な思いや苦しい、つらい思いをすることもあるでしょう。そして、結果が予想される中、待ち、見守るということは親としては切ないもの。先回りしてやったり、困難を取り除いてあげることの方がよほど親としては楽なのです。しかし、それは子どもの成長のチャンスを奪うことになってしまう…。

 親の役割は子どもを信じて、見守りながら、待つこと。もし失敗したしても、失敗は恥ずかしいことではないことを子どもに伝え、それを成長のチャンスと捉え、学びに変えていくことなのです。
 
 では間違いや失敗をどのようにすれば、学びに変えられるでしょうか。
私は子どもたちに、こんな問いかけをしていました。
「あなたはどうしたいの?」「どう思ったの?」と。
答えたらその言葉を復唱や要約し、「あなたはそうしたかったのね。そう思ったのね」と、子どもの思いを受け止めるのです。言葉が未熟な成長段階において、親の復唱や要約は、その子が伝えたいことと伝わったことを確認する機会になります。これをくりかえしていくことで、言葉を使ったコミュニケーション力が鍛えられ多様に感じています。子どもも「自分の想いを受け止めてもらえた」と感じることで情緒が安定し、親子も関係性がよくなっていったのかなと思っています。
 
 親が先まわりして、子どもに失敗や悲しい思いをさせないことや、何かひとことでも話したら、「こういうことね」とすべて代弁してしまうことは、子どもの心の成長や言語習得のチャンスを奪っていることにもなりかねません。ここは「忍」の一字で「待つ」「見守る」をつらぬくしかないのかなと感じています。

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