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雑感【障害・病気】

最近、親しくしている異性や職場の上司から病気や障害のことを隠すようにアドバイスされました。

なんかモヤモヤするのです。

私が私であるその構成要素である一部をなぜ隠さねばならないのでしょうか。

曰く。

「活動的やし、病気っぽくないから、薬飲んでるとか言わんでエエんとちゃうん」

「相手に気を使わせるでしょう。ココは楽しませる場所よ」

まだ後者はわかるんです。

そう。病気って聞いたら相手に気を使わせてしまうから。

どうして病気って聞いたら、障害って聞いたら、相手は私に気を使っちゃうのでしょうか。

可哀想だから? 不自由で可哀想だから?

でも活動的だからイメージにそぐわないから、言わないでいいんとちゃうか。

相手が勝手に作り上げている「病人」や「障がい者」のイメージにそぐわないから、隠した方がいい…?

そもそも、病気でない方、健常者が勝手に作り上げているイメージにそぐわない病人、障がい者が理解をって訴えるのはこういった善意の方々に向けてなのではないでしょうか。

病気だから不幸じゃないし、障がい者だから不幸じゃない。

病気でも幸せだし、障害があったって幸せです。

幸せな障がい者や病人を見ると、ムカムカするっとおっしゃった飲み屋のお客様もいらっしゃいました。

一緒のカウンターで飲みたくないと。

なぜなんでしょうか。

働いてないから? 障害年金や生活保護を受けているから?

病人や障がい者は不幸でなければならないと決めつけているのではないでしょうか。

それこそが偏見ではないのでしょうか。

ムカムカするとおっしゃった方だけでなく、隠した方がいいとアドバイスしてくださった方も含めて、健常者は障がい者や病人が幸せだと違和感を感じてらっしゃるようです。

その違和感そのものが偏見そのものだと気づきもしないで。

その偏見が私達を不幸に突き落としているのだと、絶望の淵をのぞかせているのだと気づきもしないで、親切な顔で目の前に立ちふさがるのです。

最後に大事なことなのでもう一度いいます。

病気でも、障がい者でも、幸せに生きている人もいるのです。

服薬していれば、きちんと人と変わらない生活を送れる病人や障がい者だっているんです。

それを理解して欲しいと言っているのです。

普通の人と変わりないんだから、障がい者じゃない、病人じゃない。

ほら、理解しているでしょう。

違うんですよ。

障害があって、病気だって、普通の生活は送れるけども、工夫しなきゃいけなかったり不便だったりすることは日常的に多々あって、それを見せないようにする術にも長けているだけなのです。

病人や障がい者という弱者が対比して強者である健常者に気を使って、わざわざ見せないように振舞っているんです。

なぜ隠さねばならないのでしょうか。

同調圧力、でしょうか。

みんなと同じでないと、と病気や障害を隠していれば普通に振る舞わねばならないのです。

病気や障害を話しておけば、私達はもっと楽に自然に過ごすことだってできるのに。

わざわざ見せないように、息を潜めるようにしなければなりません。

私はこれからも病気であると、障害であると、普通に話します。

全然見えないでしょう。

普通の人と変わらないでしょう。

それでも、障害があって病気であるこういった人間だっているんだって知ってほしいんです。

あなたに。

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