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外国で暮らすということ

New Zealand (以下NZ)にきてまもなく1ヶ月が経とうとしています。

そのままQueenstownに直行するはずが、直前に予定を変えて北島Aucklandから入国。北島の有名サーフエリアRaglanで暮らしていた元同僚に会いに行き、1週間過ごした後、今住んでいるQueenstownに向かいました。なぜ北島に行きたくなたのか?「スキーをしにNZへ」と意気込んでいたものの、外国の地へ出向くならば、できるだけその土地を知りたいという欲が出てしまったからだと思います。

1ヶ月過ごして思うのは、わからないことだらけだということ。

今年の冬は2シーズン過ごした北海道・ニセコに絶対戻るというのだけは決めていたのでNZ滞在期間はたった4ヶ月。とても贅沢なワーホリの使い方であり、勿体無いと思う人も多いと思います。ワーホリできている人、地元の人も含めて皆口を揃えて、NZの夏は最高であると。その夏を過ごさないということは苦渋の選択でしたが今年は1年のほぼ大半を冬で過ごすことに決めました。夏を恋しがっている自分の心境も相まって、南島より温暖な北島に惹かれていたのかもしれません。大都市オークランドはどのような街なのか、世界から人気があるサーフスポットがたくさんある北島、その中でも友人が住んでいたRaglan,どちらも行かずにはいられないと思い、心のままにQueenstown行きまで抑えていた航空券を手放し、北島へ降り立ちました。

NZに行く前にアメリカに3週間滞在し、ロサンゼルスに1週間、ヨセミテ国立公園を含むエリアに1週間、サンフランシスコに1週間という夢に見ていたアメリカの一人旅。その後にNZへということもあり、日本でない土地で生活をする、ということに関してはかなり慣れて来ていたのは確かだったなと振り返って思います。生まれ故郷の東京、ここ最近暮らしていた北海道、アメリカ3地域、NZ3地域、どこにもそこで暮らす人がいて、システムや規模、通貨、治安が異なるだけで大枠はどこも同じであること。だから海外で暮らす、っていうのはきっと難しくないことなんだなと思います。日本だったらこれと同じ感じだな、このポイントは日本と違うけど役割としては同じだな、とかイメージして、受け入れて、動く、暮らす。

じゃあなんで、1ヶ月過ごしてわからないことだらけなのか。
わからない、という言葉をもう少し噛み砕くと、
暮らすことはできるけど、その土地と向き合う時間をかけたことによる見えてくるもの、は4ヶ月はもちろん、ワーホリの1年2年じゃ掴むことは難しい、というかできないなあということかなあと。全てをわかる必要もないし、自分の満足がいく範囲で知ることができたならそれはそれで満点の過ごした時間だと思います。何が見えてくるのか、というのもはっきりしたものであるかもしれないし、そうでないかもしれない。でもわかるのはたった数ヶ月ではわかり気っこないということ。

暮らすという言葉は簡単なようで深みがあるなぁと。NZに到着して一番途方に暮れていたオークランドの1週間、大都会でも綺麗な夕日が見れて心が洗われました。


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