北の空と恵み

イギリス南部の牧草地に囲まれた町から、北ドイツの都市の街中へ移って来たのは、去年のこと。その前には、フランスのパリと南部の中規模都市で暮らしていた。フランスもドイツも、大陸ヨーロッパの街の空は狭い。イギリスに越した時、煉瓦造りの小振りの家の延々連なる屋根と繋がるような空に、感心したものだ。そしていま、また街中へ戻った。空と引き換えに、街中の活気を、集合住宅に肩を寄せ合う数々の世帯とともに、シェアしている。

北ドイツ独特の比較的広い道路と、そこかしこに植えられた街路樹。その脇を自転車で行き交うのは、とても気持ちがいい。

暮らし始めて二月ほど経って生活に慣れて来た頃、子供達がつぶやくー「なんか森の中に住んでいるみたいだね」なるほど、彼らが育ったイギリスと違って、通学路も公園も、林立する住宅と街路樹に挟まれている。角を曲がれば公園があり、木の下にはベンチがありと、遊ぶにも憩うにも申し分ない場所なのだが、そう言われてみれば、どこも陽のあたることのない木陰。イギリスにいた頃はなんとも思っていなかった、ただ、だだっ広くそこにあった野原が恋しくなった。

それから一冬の間、わたしの心は閉ざされがちになった。太陽の光が届かず、現地の言葉が耳に響かないことに打ちのめされたように。

さて、今年も秋が終わり冬がやってきた。北風が木立の枝から葉を振り落とし、街並みは違った表情を帯びる。鬱蒼と茂る街路樹の向こう側にある隣家の燈が見えるのだ。暖かい光を灯す数々の隣人たちが、クリスマスに向けて競うかのように、暗闇の中できらめいている。普段は全く顔を合わすこともない隣人たちの幸せそうな姿が、光によって照らされる。

イギリスで幼い子供達を育てていた頃のこと。キリスト教徒ではない自分の子供達が、学校や幼稚園で習ってきたクリスマスキャロルを高らかに歌い、Lord Jesus (主なるイエス)や Bethlehem (ベスレヘム、キリスト生誕の地)などと口ずさむのを聴いて、なんとも不思議な気持ちがしたものだ。ところが、学校での集まりや近所の教会へも何度か足を運び、ともに唄ううちに、それらの歌は、私たち家族にとってかけがえのない絆のようなものになっている気がする。長旅の途上で生まれたイエス。世界をさすらうようなその家族の姿が謳われる様は、現代の地球規模で流動化する人の流れを思い起こし、心を揺さぶられる。

オリーヴのなる地、ミモザの咲きほこる南の地から、命からがら北のくにの狭い空の街へたどり着いてきた人々は、温かいぬくもりと光に包まれているだろうか。

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柚子が恋しい冬至の日。せめて、今日を境に日が長くなるのだ、という希望とともに、この北のくににて暖かい光に照らされることに感謝しつつ、クリスマスを祝いたいと思う。そして、世界が平和でありますよう、祈りたい。


記 1999年12月21日


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