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パン屋と情緒の関係性

 香ばしい小麦粉とバターの匂いに包まれている。美味しそうなパンに取り囲まれて、トレーとトングを持つ手に気合が入る。
 自炊をする中の贅沢として、 食パンだけはパン屋で買うようにしている。
 冷凍庫に入れられない総菜パンは明日までに食べられる量でないといけない。金額というよりも空腹状況と今後の予定の方が大事だ。
 選ぶのが楽しい!
 今日はとても調子が良いみたいだ。

 パン屋に来ると、パン自体が好きなのはもちろんだが、すんなり選べてレジまでいけると情緒が安定しているとほっとする。

 沢山の種類の中からこれからの予定だったり、家にある食品の在庫状況を頭で反芻しつつ、量や種類を適切に選定していく。それが、頭が快適な状況になっていないと難しくてパン屋での買い物が全く楽しくない。
 何個買えばいいかもわからなくて、何が食べたいかの自分の欲も、思考回路が疲れていると「選ぶ」ことができなくなってしまう。図書館での本選び(本屋は単価が高いので選ぶ範囲が狭くなる)にも同じ感覚を覚えている。

 食事は毎日行わないといけない一方で、どこまでこだわるかはその時の他の比重に影響されやすくて、ある程度ルーティン化した方が忙しい時期は助かる。
 ただ、自炊をするときの感覚はかけがえがなくて愛しい。

 食材を切る感触、煮たり焼いたりする音、立ち上がる香り、調理工程を経ておいしそうになる見た目…。
 五感で感じられる料理は、現代においてはとても贅沢なのかもしれない。
 誰か食べてくれる人がいれば尚更だ。
 生物としての、根本的なインプットを大事にできる心の余裕を優先順位として意識していきたいと感じた。

 最近は自炊の優先順位が下がり、外食や中食に振り切ってしまっている。
 それでも「栄養を摂るだけ」にならない美味しさが得られるから、現代って本当にありがたい。

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