奇跡だったんだ。
普段ラインのやり取りしかしない妹から、珍しく電話があった。
母が倒れ、救急車で運ばれたとのこと。
私の住まいから実家までは、高速を利用して2時間半。
妹から伝えられた病院へ、ナビを頼りに向かう途中、私はいろんな感覚がマヒしたような状態だった。
体が、ふわふわ浮くような感覚だった。
「昨日までは、いつものように一緒に散歩していたんだよ」
「(倒れた当日の)朝は、いつもどおり、いやむしろたくさんご飯を食べていたくらい元気だったのに」
そんな父のつぶやきが、何だか他人の事を言っているように聞こえた。
「できる限りのことはしますが、危険な状態です」
「極度の貧血、血糖値の異常なほどの上昇、そして脳梗塞を起こしています」
「いつ心臓が止まってもおかしくない。覚悟しておいていただきたいです」
「親族の方に連絡を」
こんな、ドラマのセリフのような言葉を、自分の母のこととして聞くとは。
コロナの流行は、親族でも面会を許してもらえない環境を作り出す。
母への面会は許されず、担当看護師から様子を聞く毎日が続く。
一時は危険な状態だった母。
入院して一週間ほどでようやく目を開けたそうだ。
病院嫌いなあなたが、こんな形で病院にお世話になるなんて、なんてこった。
危篤状態の母を前に、一時は覚悟を決めた父、そして私、妹、弟。
いまだ入院中の母は、ようやく食事をとることができるようになったそうだ。
記憶はあまりはっきりせず、半身のマヒもみられるとのこと。
でも、父は毎日少しずつできることが増える母の様子を聞いてとても嬉しそうだ。
その様子はまるで、親が、子の成長を喜ぶよう。
父よ、喜んでばかりはいられないぞ。
ご飯は、座っているだけでは出てきません。
普段から掃除や洗濯などの家事はそこそこやっている父だが、三食を準備してくれていたのは主に母。
やれやれ、父に、クッキング講座を開く必要があるようだ。
実家にて、母のカバンから見つけた手帳を、こっそりのぞいてみた。
●ダンス(趣味で通っていた)を頑張る!
●〇〇の曲をピアノで弾けるようになる!
●〇〇の曲を歌えるようになる!
●節約する!
●私は私らしく、毎日を楽しく生きる!
涙が出た。
家族のだれもが予想しなかった(本人が一番予想していなかったと思う)事態が突然起こり、気が付いたら今までの母がいない。
いるのに、いない。
元気な人もいつかは体調が変わり、病気になったり、寿命をむかえるのはわかっている。
でも、こんなに突然起こるなんて、さすがに聞いてない。
いつものように父がいて母がいて、日課の散歩に出掛けたり趣味を楽しんだり、遠方に住む娘や孫の、年に数回の帰省を楽しみにおいしいものを用意したり。
自分は病院嫌いなくせに、人の体調ばかり気にしておせっかいを焼く母。
永遠に続くと勘違いしてしまっていた。
それって、まさに奇跡だったんだ。
今までの母はもういない。
母は、いろんなものをリセットして一から学びなおす形でこれからは過ごしてゆくのだろう。
そんな母を思うとき、悲しいとかつらいとかといった感情はしっくりこない。
リセットし新しく生まれ変わった母に、どんな形で向き合い、かかわってゆくべきか。
ここから、どんな関係を母と築いてゆけるか。
そんなことを常に考えながら、しばらくは過ごす気がする。
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