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トスカーナ大公家からイタリア王家に愛された場所

前回取り上げたカステッロの別荘から徒歩10分の所に、もう一つメディチ家の別荘があります。ここもユネスコ世界遺産に登録されています。


ペトライアの別荘。12世紀に起源を持つ古城で、15世紀前半にコジモ・デ・メディチ1世が改装を始めました。その後息子のフェルディナンドが工事を引き継ぎ、今の規模と建物の中心に中庭を設けた四角のプランになります。これが後のトスカーナ州の農村部で見られる多く別荘のモデルとなり、現在でもその骨格を保っています。


18世紀にメディチ家が途絶えてからは、別荘はオーストリア王家、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世へと所有者を変えます。

イタリア半島でひしめいていた小国は1861年にイタリア王国として統一され、フィレンツェが1864年から71年まで王国の首都でした。その間ペトライアの別荘は国王夫妻の住まいでした。その時に内部は大きく改装され、ビリヤード場、ダンスホールが作られています。


ビリヤード場
イタリア王家昼食の間


この別荘で大切な芸術品は3点。全てメディチ家がいた頃の遺産です。


ジャンボローニャ 「フィオレンツァ(ヴィーナス)」 ブロンズ像 1572年頃


「フィオレンツァ」

アンマンナーティ 「アンタイオスを倒すヘラクレス」 ブロンズ像 1600年頃

「アンタイオスを倒すヘラクレス」

中庭を彩る「メディチ家の栄華」(1637-46年)


2体のブロンズは元々、前回の投稿で取り上げたカステッロの別荘にあったもので、「動物の洞窟」と関連付けて作られました。なので、ペトライアとカステッロはセットで見ると、個々の作品の意味が繋がります。


鮮やかなメディチ家を讃えるフレスコ画はヴォルテッラーノの手によるもので、1500年代に入ってからメディチ家により彼らの国が公国から大公国になるにあたり主要人物が表されています。



この別荘は最後の所有者だったイタリア王が過ごした時の状態を保っています。そのため、一般的な美術館の様な導線が引かれていないため、係員の案内を受けて回ります(イタリア語のみ)。


メディチ家がいた1500年代半ばから1800年代半ばにかけての作品、ルネッサンスから近代までの権力者プライベート空間が見られます。300年の変遷の様子を知ることができる場所です。


フィレンツェにいらっしゃる時の参考になさってみてください。

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