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Twitter is not for me.

一年くらい前から、文章創作イップスみたいな状態になってました。ライターズブロックとも言うみたいですね。
思うように書けない。集中して書けない。自分の思い描く世界に没頭できず、浸ろうとすればするほど苦しくなる。
その原因が何であるかはもうずっと前から気づいてはいて、でもどうにか乗り越えていきたくてあれこれ迷走してみたけれど、やっぱり私はTwitterから少し距離を置きたいと思います。
(タイトルは某藤i井君のBioからの引用ですが、彼がこう言い残した言語化できない感覚みたいなもの、すごくわかる感じがするので)

Twitterでの発信に向いていて楽しめる人もいるし、そこに身をおくことで勝手に苦しくなっていく人もいる。
なのでこれは完全に私の感覚特性とか適応力の問題なのですが、私にとっては140字という規制の中で自分の言いたいことをフラットに表現するのはとても難しかったです。ここ数ヶ月はどうでもいいつぶやきの一字一句まで気を使って書き直したり、一度投稿したものも「不快になる人もいるかもしれない」とか思って消してしまったり。
あと、活字中毒の特性なのか、見える範囲の文字情報全てを拾ってその行間まで読んじゃう。自分の興味あるなしに文字情報が濁流のように流れてくるTwitterは、TLに常駐する時間が増えれば増えるほどに、不必要に気疲れしてしまいます。
追いきれないからという理由でフォローを必要最低限にしていたり、TLを開いても過去には遡らないようにしているのですが、それでも「自分にとっては」情報過多で溺れてしまうのがTwitter。

なのに何故Twitterでアカウントの運用を始めたのかといえば、作品の公式アカウントをフォローしたかったからでした。公式情報を得るには最適最速だったので致し方なく、という面が大きかったかも。
あとごく最近まで、そもそもの推し活とか二次創作に全くと言っていいほど興味がない人だったので、業界?の流れというものに本当に疎かったのです。
同人作家さんたちがここ数年は個人サイトやpixivではなくTwitterをメインに作品公開&交流されているというのを知り、自分も閲覧したり発表したりするのなら自分もTwitterの運用や交流も必要なのかな、と恐る恐る足を踏み入れてみたのがたぶん1年半くらい前。

もちろんTwitterを始めたからこそ得られた情報もたくさんあるし、Twitterだから繋がれた方々、奇跡的な出会いが叶った方もいました。
FFの方だけでなく界隈のみなさんそれぞれが素敵な内面世界をもっていて、学識やスキルを尊敬したり、新しい視点を学ばせていただいたりなど、一年前とは全く違った世界に居させてもらっているな、と出会いへの感謝は日々絶えません。

けれどそれ以上に、自分の「書けない」というストレスの方が大きくなったのです。
pixivで作品をあげているだけの期間は、閲覧数とかブクマ数という形で読者の方の存在を感じることができて、感想も時々いただけたりして、それはそれで大変嬉しかったです。けれどそれは「個人」ではない不特定多数の誰かの閲覧であって、ブクマ数という好意的な反応のみが見える世界であって、自分の「書きたい」を脅かすような何かが起こることはありませんでした。ROM専の方が多いからというものあるかもしれません。
けれどTwitterでは数字とともに「個人」の素顔が見えてしまいます。意図されているのかもしれないことも、意図的ではないことも、見たくなくても感じてしまう。

決して、表立って批判があったわけでも、攻撃されたわけでもありません。
けれど私が書きたいと思っていた物語は、誰かにとっては読みたくない内容なのかもしれない。語りたいと思っていることは、誰かにとっては見たくない内容なのかもしれない。
無言の圧が怖くて書けない、ということをある方に相談した時「作品やキャラに対する解釈とか受け取り方は千差万別でいいのだから、顔の見えない誰かの意見を気にしないように」と至極真っ当なアドバイスもいただきました。本当にその通りですね。
けれど、一度そういう世界があることを知ってしまってからは、何をどう言えば(どんな作品であれば)界隈のみなさまのご機嫌を損ねないか、という視点に終始するようになってしまい、まだその迷路から脱出できていません。
最近は日常も忙しくてそういうことは忘れているのですが、公式供給などがあったり時間ができた時にTLを見ようとすると、やっぱり情報の濁流にのみこまれてしまうし、周りの方と同じペースでは泳ぎきれなくて一人出遅れ、溺れてしまいます。

でも本当は「楽しいから」二次小説を書きたい。「楽しいから」絵の練習をしたい。自分が好きと思えるものに時間を費やしたい。
創作イップスから抜け出して、自分の書きたい世界に没頭したい。
公式に対する敬愛の表現として今の私は創作というベースを選んでいるので、その原点に戻れるように、このフェーズを抜けるまで、しばらくTwitterから距離を置こうと思います。
交流から離れてしまったり公式情報がタイムリーに得られないのは残念だけど、急流に溺れながら楽しみを忘れて泳ぐより自分のペースで沈んでいたい。


というのをわざわざアカウントで言うのも自我ツイ乙、と言われそうなのでこちらに書きました。笑


今はnoteの方が私は気楽です。ほぼフォローされていないというのが一番ストレスが少ない要因かも。別に何かに配慮しつつ書いているわけではないけれど、気を遣わずに自分の意見が書ける感じがあります。
長文書きさんが好んで利用しているようにも感じるし、趣味のことも、こういう所感のことも自由に書いていても、割と緩やかに許容されているのがnoteかもしれないなと思っています(今の時点での個人的な感覚です)

また、同じようにTwitterの運用にしんどさを感じている方も少なくない、と言うことも最近知ったので、一つの記録として見知らぬ誰かの心に引っ掛かればそれでいいなと思います。引っ掛からなくても全然気にならない。
そういう感覚(画面の向こうの空気を読む感覚)って、良くも悪くもアンテナが敏感だからで。だから描ける世界があるのだと、肯定的に捉えていけたらいいなと思います。
自分も、みなさまも。

ご静読ありがとうございました。

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