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越前リョーマ考(3)キャラソン解釈編/テニスアイドルの光と影
この夏は色々ありすぎて体内ミトコンドリアごと死滅しそうになってましたが、こんなときいつも「まだ死ねない」「生きたい」というを気力を与えてくれるのが「テニスの王子様」というコンテンツです。
映画「リョーマ!The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様」は9月で上映2周年。全国で声出し応援上映が決まったそうですね。おめでとうございます。その朗報にまたひとつの命が救われました。
都会では満員の映画館でファンが歌い踊り、その中に許斐先生が紛れてペンライトを振っているのかと思うと叫びそうになりますが、コロナ禍での制限さえなければ、先生ご自身が誰よりもこういう形での上映を望んでおられたはずでした。許斐先生が誰よりもテニプリのファンでおられて、テニプリを常に旬のコンテンツとして送り出してくれていることだけでも十分すぎる世界です。
しかしとうとう、地域のTOHOシネマズは、応援上映館のリストから外れてしまいました。これまでの応援上映も両手に収まる人数で貸切状態( )でしたので地方シネコンの採算的に仕方ないのです。
私が全席チケットを買い占めて参列するぜ?な財閥だったらよかったんですけど。最近憧れる人は瑛子ママです。
思えばこの2年、テニプリのことを考えなかった日は1日たりともありませんでした(二重否定)。間違いなくそう断言できる365日を2周し、テニプリに命と人生を支えられてきたのかと思うとなかなかに感無量です。
そしてそれは同時に、テニプリの音楽に触れなかった日はないとも言い切れる2年でした。私にとってもテニプリと音楽は切っても切り離すことができないものです。テニプリにキャラソンがなかったら、映画「リョーマ!」に音楽要素がなかったら、私はテニプリにここまで沼っていなかった。
映画の主題歌挿入歌やシアター☆テニフェスpetit! で知った代表曲などももちろん大好きですが、これまでの総再生回数といえば最推しのテニスアイドル☆越前リョーマ氏の楽曲が最多になります。CV皆川/リョーマの歌声は国宝として永久保存すべき。
特に2022年のテニソニでVR越前のライブ映像を見てからは「テニスアイドル☆VR越前リョーマのライブに行かないまま死ぬわけにはいかない」と新たな生きる目標をいただくこともできました。
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本記事ではテニプリの音楽、特にアルバム「SR」収録の曲解釈を中心に、越前リョーマが抱えるテーマについての考察をしています。
プロフにも記載のとおり、リョーマと桜乃ちゃん激推しのテニプリ初心者による、個人の主観・憶測・妄想を詰め込んだ偏向解釈なので、そのあたりの理解が難しそうな方はそっ閉じをお願いいたします。
後半は主観が暴走して軽く1万字超えました。こんなこと書く暇があれば創作すればと思うけど、創作をするためにこれを書きます(素振り的に)
テニプリにとっての音楽とは
アニメや2.5次元というコンテンツは、漫画から派生するビジュアルメディアとして展開しやすいイメージです。けれど音楽というものは、多分一般的な漫画家の方にとっては得意分野が違うというか「守備範囲外」なところがあるのではないでしょうか。
けれど許斐先生はそうではない。肩書きは「ハッピーメディアクリエイター時々漫画家」、テニプリ筆頭のシンガーソングライターとして多数の楽曲も作り出してこられました。
私が「リョーマ!The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様」を近年稀にみる傑作だと思っているのは、この映画が原作・製作総指揮 許斐 剛/劇中歌全作詞作曲 許斐 剛という、ただの漫画原作とかCGアニメとかミュージカル映画というものの枠を超えて、まるごと全部が許斐ワールドで彩られた、他に類を見ない作品だからです。
映像作品にとって、そのビジュアルを彩る音楽とのマッチングが大切なのは言うまでもありません。けれど一般的には「原作者」が「音楽監修(作詞作曲)」までを行う作品はないのではと思います。
ダメというわけではなくて、「漫画家としてプロ」と「作詞ができる」まではありえたとしても「商品レベルで作曲もできる」方を、私は許斐先生以外に知りません。ただすごいというしかない。
普通は漫画がアニメ化したりすると、作画をアニメのプロが担当するように、音楽は音楽のプロフェッショナルがチームの一員として集まり、監督や原作者ともとに作品を作っていくものだと思っていましたので。
けれど許斐先生の中ではきっと、漫画も音楽も映像も、もちろん2.5次元も、どれもが同等に「テニスの王子様」という壮大な作品世界に必要不可欠で、テニプリがテニプリであるために少しの妥協も許されないコンテンツなのでしょう。どれが欠けても、どれが妥協されても許斐先生の目指すテニプリではなくなってしまう。だから「やりたかった」全部を妥協なく詰め込んだ。中心となるキャラクタービジュアル、ストーリー、表現としてのキャラのモーションや表情、そしてそれを統合する音楽世界。
それはもう「製作総指揮」とかいうレベルを超えて、総合芸術の領域です。CGやストーリーのクオリティ、音楽の巧拙とかいう次元の話ではなく、音楽でなければ描けない感情や表現も含めて「世界観が統一されていること」がテニプリの真の価値だと思います。
許斐先生はハッピーメディアクリエイターとして、この映画でハッピーエンターテイメントワールドを実現してしまわれました。そういう観点でも、もっと評価されるべきタグをつけたい傑作映画です。
では、2023年現在で総楽曲数900曲を超えると言われている(正確な曲数が把握しきれないほど多いとかすごすぎる)テニプリのキャラソンについて、許斐先生はどこまで監修されているのでしょうか。
私が知っている曲はその半分にも満たない、ほんの一部だけです。その中には今回の映画のように許斐先生が直接作詞(作曲)に関わった楽曲もありますが、「テニプリのキャラソンといえばこの方」みたいなお馴染みの作詞・作曲・編曲家の方による楽曲が多数を占め、声優さんが作詞された曲もあり、アニメ主題歌として1曲だけを提供したアーティストの方もおられたりなど、計り知れないほどにいろいろな業界の方がテニプリの音楽に関わっておられるようです(後発なので未確認&未聴の曲については推測ですみません、死ぬまでに全曲コンプできる気がしない)。
キャラクターが増え、曲が増え、それに関わる人が増えれば増えるほどに「らしさ」とはなにか、みたいなことが起こりそうな気もするのですが、実際世に送り出された曲を聞いてみると、どの楽曲も驚くほどに違和感なく「テニプリ」でしかない。
キャラクターごとに持ち歌があり、サマバレやバレキスといった企画も毎年継続し、一人で何枚もソロアルバムを出したり、ユニットを組み換えたりしながら「キャラソン」と単純に一括りにできないほどに多彩な音楽が展開されている。にもかかわらず、それらはどれひとつとして「なんか違う」感がない。「これぞテニプリ」「これぞ○○(キャラ名)」という、圧倒的な説得力をもって訴えてくる曲ばかり。
声優さんによって命を吹き込まれたキャラクターそのものがリアルに生きていて「自分の意思」で「自分の思い」を歌っていると錯覚するかのような、漫画の枠内に収まりきらなかった思いの丈を、歌に乗せて訴えかけてきてくれるような。
この「音楽領域におけるコンセプトの統合」というのは、原作に描かれていない次元だからこそ相当に難しいのではないかと思います。
推測の域でしかないのですが、もしも「このキャラらしくない(と先生が思う)」楽曲が提供されることがあったとしたら、許斐先生がその曲に対してOKを出すことがあるでしょうか。
ないような気がします。
すべての曲は(特に各キャラの心情を表現した曲の歌詞については)許斐先生自身の監修(チェック)を受けていて「このキャラだからこそ、この曲」という太鼓判をもらって世に送り出されているのではないでしょうか。
もちろん事実はわかりません、ただの推測ですが、そう全幅の信頼を寄せられる説得力をもった音楽、それが「テニプリのキャラソン」クオリティなのだと思います。
越前リョーマ名義 2枚組アルバム「SR」
前置きだけで記事を書こうかと思いましたが記事タイトルが「越前リョーマ考」なので、越前リョーマの曲についてのここからが本題です(白目)
映画「リョーマ!」の挿入歌やテニラビ実装曲ももちろん大好きですが、この2年で聞いていたのはほぼ越前リョーマのソロ曲でした。そういえばそもそも900曲コンプなんて目指してなかった、1曲を骨まで貪る派です。
新テニになってから発売されたアルバム『RYOMA』もそれだけで記事書けるくらいお気に入りでしたが、通勤ルートが変わったのでCDも切り替えて、最近は『SR』(Disc1)を再生しています。
2004/07/07発売だそうです。ほぼ20年前とか。気絶しそう。
SRのテーマは「サムライ」、
つまりSamirai Ryoma の略で『SR』なんですね。
当時はファンの皆様にむけてもっと詳細な情報があったはずですが、なにごとにも底の浅いテニプリオタクなせいか、私の検索能力が低すぎるのか、アルバムや収録曲についてのコメント・感想等を見つけることがどうしてもできませんでした。
唯一、Amazonで見てきた感じでは、越前リョーマのソロアルバムとしては3rdアルバムの『RYOMA』や、1stアルバムの『Cool E』とかのほうがファンの皆さまの評価は高いように思います。
わかるよ。『RYOMA』や『Cool E』は越前リョーマらしい、というか、表向きなキャラクターが立っている。「ファンにむけて歌いました」っていう明快な曲が入ってたり、リョ桜推しが悶絶するあの曲やあの曲も入ってたりするし。妄想が広がりますね!
『SR』については、Disc2がわりとアニメ寄りというか「青学の越前」「かわいい越前」に寄せたラインナップだったりするので、『Cool E』よりもさらにライトな印象です。深く考えずに気楽に聴けちゃう。
いや、青学のマスコットな越前も、かわいい越前も好きだよ。「Dreaming on the Radio」とか前奏聞くだけで鬱が吹っ飛ぶくらいもう最高に好きなんだけど。
でもちょっとまって!(誰も聞いてない)
『SR』のDisc1の重み。聞けば聞くほどに沼に落ちていくこのアルバムの魅力を、私は今まで見過ごしてきてしまっていたのだと最近気づきました。
全体の構成すごくない?
ライブのセットリスト?(本当に皆川/リョーマのソロコンサートがあったんですね。その時代に生きていたかった)
Disc1の最初の3曲はわりと「越前リョーマ」らしいキャラクターに寄せたわかりやすいラインナップで、人の心を掴んで離さない魅力に溢れています。掴みとしてコレ以上のものはない。「FIGHT TO THE END」はリョーマの代表曲のひとつですし、その後の2曲も明るくノリのいい曲調で、越前リョーマの「光」の部分、正当な主人公性を強調するような歌詞で展開されている。
けれどこのアルバムの本質というか真骨頂、私が本当に聞いて欲しいと思うのは4曲目からなのです。
そもそも、1曲めの「FIGHT TO THE END」冒頭では
戦い抜くと決めたから
孤独とか情けなど 関係ないさ
という歌詞から始まります。
これってつまり、越前リョーマは孤独とか情といった繊細な感情を内包している人である、という前提を示唆しています。けれどここから先を戦い抜く(アイツを超える)ためにはそんなものにかまっていられない。「関係ないさ」と置いていってる。
「魂の衝動のままに戦いの中へ、もっと上へ」という前向きな曲、光と希望と野心に溢れた曲なのに、冒頭の短いフレーズが彼の心の内側を垣間見せてくれています。
「FIGHT TO THE END」を含めた最初の3曲が越前の「光」を歌ったものだとすれば、
次の3曲は越前の「影」の部分にあたるのかもしれません。
影というのが表現上よろしくないのであれば「目に見えない側」「表面的には描かれてこなかった、キャラクターの裏側」と言えるかと思います。
あっ、私の大好きなパートですね?!
4曲目「LIFE GOES ON」
『SR』を購入したのは、もともとは、テニラビ配信曲だった「LIFE GOES ON」にドハマリしたからというものあります。シリアスな歌詞と曲調が好きすぎて、日本語訳の載った歌詞カードを見たくてCDを買いました。前奏中で小声で呟いてる英語の台詞が知りたかったのですが、それは掲載されてなくて残念でした。でも多分キャラ解釈的にめちゃくちゃ重要なことを言ってると思う。理解してからでないと死に切れない。
「LIFE GOES ON」は英語歌詞だからのカッコよさ、というのはもちろんあると思うのですが、最初にテニラビで聞いたときに「なにこれ、越前ってこういうこと考えてたのか!」と衝撃をうけた曲でもあります。
I'm gonna head towards a brand new place where no one has been before
'Cos we will never change what has gone You know what I mean
Talking to myself "what is the best?" "What is the right way?"
Little dreamer still hasn't found what he’s looking for
ガツガツじゃん。
そしてこれをNative発音で歌い上げる皆川さんすごすぎる。
「まだ誰も行ったことのない場所へ到達したい」から始まる、荒れ狂う衝動とヒリヒリするほどの焦燥、孤独ならざるをえない夢追い人の内面。
これ旧テニ時間軸ではなくない?! 英語だけど「無我の境地」的なオレ万能感は皆無だし、Disc2で展開されているような青学時代の面影はなく、シングルスプレイヤーとしてひとりで戦いのステージにいるときの心境のような、もう少し未来の彼を感じさせる。
この曲からアルバムの雰囲気は一変し
リョーマの立ち位置、視線の先は光に満ちたステージから光の届かないバックステージへと転換します。
しかもあえて全英語詞にして、シリアスなメロディに乗せることで「アニメ軸のリョーマではない」「別に理解されなくてもいい」とライト層を突き放しているようにさえ思えます。
この曲で描かれる越前の内面世界に沼った私は「この曲をテーマにして、この心境でテニスコートに立つ越前の話をいつか書きたい」とまで思うようになりました。二次小説を書き始めたのも、この曲がそもそものきっかけだっ(以下略)
5曲目「CRYING SKY」
まって。
なんなんですかこの歌は。
誰が書いたの!UZAさん?UZAさん……!!(神だった)
「LIFE GOES ON」にはまじで人生狂わされたと思うほどに好きなのですが、好きのあまりに「LIFE GOES ON」だけを1曲リピートしてしまう有様だったので、次の曲「CRYING SKY」をあまり再生していませんでした。超反省。
でもアルバム通して聞くようになったら、その歌詞に発狂するかと思った。
なんだこれ。情緒が死ぬかも。
空が やけに泣いてる
―孤独― 霞む意識に
響いている 言葉が激しく
この心を 引き裂く
呼吸が出来ないくらい
疲れきった この身体
剥がされてく 感情の雫が
掌へと落ちた
すごくない?
この歌詞とこのメロディをあの越前に歌わせるんだよ。
孤独に意識が霞む?!
感情の雫が剥がされて落ちる?!
だめだ語感も何もかも好きすぎて狂ってしまう
(全歌詞解釈とかしたいくらいなのですが、また盛大に横に逸れそうなので割愛します、またいつか)
越前リョーマは、キャラソンの世界では、名実ともにテニスアイドルです。このアルバムでも一番人気なのは1曲めの「FIGHT TO THE END」みたいだし(※Amazonレビュー調べ)そりゃそうだろと私も思います。
だからこの曲を聞いて「なんか暗いしリョーマくんのイメージと違う〜」なんて思ってしまう方は多いのではないでしょうか。レビューでもほぼ触れられてない。
五感奪われたときでさえここまで落ちてなかったよ。
冒頭からエンディングまで、徹頭徹尾ダーク。雨に打たれたまま闇落ちしていく越前。
しかし、だけれどです!!
何度も言うけど、この曲を作詞作曲をされているのはあのUZAさんなのです。テニプリのキャラソンといえばUZAさん、UZAさんといえばテニプリ…
「Dear My Friend」も「Future」も「Dreaming on the Radio」も、リョ桜民を狂わせる切ないバラードも越前の代表曲も、アレもこれも全部!!
え、なに?「チャームポイントは泣きボクロ」も作詞作曲UZAさんって?!天才すぎるが? すごくない?!
歌を通してキャラの心情を繊細に丁寧に描きだし、魅力を引き立て、命を吹き込んでくださる方。
そのUZAさんが「越前らしくない」曲を作ったりするでしょうか。
私はそれは、絶対にないと思います(断言信頼)。
つまり、この曲で歌われている心情も、彼の側面のひとつである可能性を示唆している。決して原作では描かれることのない主人公の孤独と涙。打ち拉がれ引き裂かれていく心の内側。
これが越前リョーマによって歌われ、アルバムに収録されているということの重大さを、私は今まで見過ごしてきてしまっていた。ああもっと早くちゃんと聞いとけばよかった!!妄想が捗りすぎるんだけど!
妄想ついでに言えば、これも「LIFE GOES ON」と同様、原作時間軸の心情ではないように思います。きっともう少し先の未来で、雨に濡れたコートの中で崩折れているリョーマ。でもそれは、彼にとってきっと必要な試練なはずで。そういうのこそほんとは原作で読みたいという気持ちも抑えきれない。
越前リョーマというキャラクターにとって、真逆のイメージでしかないこの曲が、アルバムの中心に置かれているということの意味。
それはこの後に続く2曲への布石のため、なのかもしれません。
6曲目「ふたり」
多分君は笑うでしょう
気持ちを伝えたら
ざわついている心揺れて
答えを探してる
ごめん。笑う。
ちょっとまって!まってまってまって!
「リョーマくん、アンタそんな愁傷な告白するキャラじゃないじゃん(半笑)」って最初は思ったけど、そうじゃないんだ。
夢女子なら「こんなふうにリョーマくんに言われたい♡」ってうっとりするところなのかもしれないのですが、うっとりしないで。まって。
これもUZAさんの作詞作曲なんですよ?
UZAさんはさっきも書いたけどリョーマと桜乃ちゃんの曖昧な関係を歌っているという、あの曲を作詞作曲されている方です。
私の勝手な想像ですが、許斐先生はキャラソンの作詞家の方々に、漫画では省略されてきた「見えない側のエピソード」をそれとなく伝えておられたりしないでしょうか。
というか、先生はそもそも「between you & me 〜ここだけの話〜」とか「peace of mind〜星の歌を聴きながら〜」などをご自身で作詞され、キャラソンの中でリョーマと桜乃ちゃん、というペアを公認しておられます。
なので、UZAさんなど他の作詞家さんたちの中でも「リョーマの心が向かう先は桜乃ちゃん」という共通認識のもとで、リョーマの心情を歌詞にしておられるということがあっても、おかしくないのかなと思います。一部界隈がとんでもなく荒れそうなのでこの曲もそうでしたとは絶対に明言はしないだろうけど。(「Dear My Friend」はこの曲のあとの発表)
なのでこの場合も
「時間を止めてこの歌を あなたの為に歌うよ」の「あなた」は竜崎桜乃ちゃん。(主観偏り発動)
まって!まってまってまって!
思えば思うほどに情緒が死ぬから。
そしてこれが「CRYING SKY」の次の曲としてリストされているということが大事なのです。
前の曲で、越前のメンタルはめちゃくちゃに弱ってる状態です。何があったかわからないけど、きっとそんな姿を、彼は誰にも見せたくないはず。だから誰もいないコートで雨に濡れて孤独を感じている。
もっと高く空を飛びたいと願うけれど、いま、翼は雨に濡れて羽ばたくことができない。むしろ濡れたままでいたい。そんな未来の予兆もないままの雰囲気で終わってしまった「CRYING SKY」の次にリストされたのが、「ふたり」です。
雨上がりの街の匂い
季節が変わってく
ただどうしようもなくなって
ただどうしても逢いたくて
ずっと君を待ってた
「CRYING SKY」の中で、雨に濡れてどうしようもなくなって、未来を失っていたリョーマ。
雨が上がって、空を見上げたら、「君」にどうしても会いたくなって、逢いにきたんだね。
書いてて泣きそう。
ていうかこの一連の流れがど性癖すぎて
吐血しそう。
何も言わなくていいよ
ただこうしているだけで
心の中そっと 陽だまりのような
優しい風が吹いた
もう泣くしかなくない?
心がずぶ濡れだったのに、君がそばにいるだけで光がさして、陽だまりのように優しく温めてくれるんだよ?
この曲全体を通して、リョーマから「君」(めんどくさいからこれ以降全部君=桜乃ちゃんとする)への矢印の大きさを、改めて見えすぎるほどに見てしまった感があります。
なのに「どうせ笑うでしょ」って思ってて、多分気持ちを伝えられてさえいないけど、それでも桜乃ちゃんに会えただけで癒されて、黙ってそばにいてくれるだけで救ってもらって、何も言わないでいい関係性に満足してるのが「リョ桜」
やばいまた吐血するわ
尊すぎませんか。
書いてて昇天しそうになったので、死ぬ前にこの衝動を創作に投入することを誓います。
7曲目「REALIZE」
今その手の中に 光をつかみ取れ
未来へ導く風をまとって
前奏なしの歌い出しだけでもう勝ち確。
けど単独で聞いたのではこの曲の真価はわからない。
これが「CRYING SKY」からの「ふたり」のあとで、7曲目にリストされていることで歌詞の深みが3倍増しくらいになります(涙)
光を失ってしばし闇の中にいたリョーマですが、君(すなわち桜乃ちゃん)とふたりでいると陽だまりみたいな優しい風に包まれたんだね。
その風はリョーマを未来へ導き、再び光を掴むために、空へと飛び立たせてくれる。
なにこの神展開。
この歌詞を、前の曲から受け継いだ思いを皆川さんが歌詞にしたということだけでももう何も言うことはありません。ありがとうございます。
一度落ちたからこそ掴みたいと願う光がある。
挫折を知ったからこそ得られた力がある。
優しさを知ったから、何度でも這い上がれる。
「覚醒」という名にふさわしい曲だと思いますし、ただアップテンポで明るいだけではない切なさみたいなのも秘めていて、若さで疾走する最初の3曲よりもずっと魅力と深みを感じるのは私だけでしょうか。
9曲目「Clear」
「ミンナココニイタ」で青学越前エンドかな、と思ったら「Clear」なんて曲を入れてあったりする。
作曲の中山さんはこういう曲調がお得意なんですね。このマイナー調の曲をアルバムのこの位置にもってくる構成センスがまた素晴らしいです。サビで転調するかと思いきや、そううまく転換しないあたりも、もうすごくいい。
歩き疲れた足 靴ひもがほどけてる
孤独の裏表 ザラついた感触を
始めて知った時
顔をあげて 遠い空の
先に見えたものは
優しい風と 君のその笑顔が
いつでも勇気をくれた
また優しい風がふいてる!!涙
あのね、この曲順で、桜乃ちゃんへの告白ソングで優しい風にふかれて、光を取り戻してミンナと戦いの場に戻っていってからの越前くんの歌なのです。なんかまた孤独ってるが「CRYING SKY」ほどの絶望感はない。
そして6曲目以降ずっと風がふいてるんだけど。
「ミンナ」じゃなくて「君」の笑顔が勇気をくれる。
作詞家さんも含めて確信犯ですか。
(このアルバムだけに収録されているらしき曲は発表年月の履歴など調べようがなかったので、『SR』でまとめてEditされたというとこで認識してます)
黙ったままで 見つめ合って
すべてわかればいいな…
「ふたり」の中でも
”何も言わなくていいよ ただこうしているだけで”
って言ってたよ…
言葉のいらない関係、
言葉にできない関係。
困難に直面して思い通りにいかなくなったときに、リョーマはそういう関係性の理解者を求めているということなんだよねえ。感涙するわ。
そして空を見上げて「君」の笑顔を思い出し、また前に進む追い風をもらう。
マイナー調の歌詞とメロディだけど、風(桜乃ちゃん)に出会う前の「CRYING SKY」と全く違う、越前のバックグラウンドが見えてくる。若さと強がりだけでは勝ち抜けない、この先のステージに向かおうとする越前。けれど彼はもう、孤独を支えてくれる桜乃ちゃんの、優しい風の安心感も知っている。だからもっと強くなれる。ひとりよがりの強がりではない、一段大人になった越前くんが感じられるような気がします。
文字数がやばいので最後雑にまとめる
そうはいっても、一般的には「越前リョーマは、青学メンバーの存在に支えられているテニスアイドルプレイヤー」というのが表向きの正しいあり方です。
だからDisc2に自然につながるようCV皆川純子さんが作詞した「YOUTHFUL DAYS」が最後に添えられているのは当然の配置だったりする。皆川さんによって主人公としての命を吹き込まれた彼は、「青学の柱 越前リョーマ」として、光のステージに戻っていきます。
原作漫画として、アニメとして、そういうENDが広く求められるあり方であるというのは理解しているし、青学テニス部という存在や(このアルバム時点では旧テニなので青学に限定してますが)メンバーひとりひとりが越前リョーマにとって必要不可欠な仲間であるというのは大前提として。
そういう「キャラとしてのフレーム」に収められた越前リョーマの一部分が、今回ピックアップした曲で表現されているような気がしてなりません。
原作やアニメでは見せる側面として選ばれていない、歌詞にのせた歌だからこそ表現できた、彼の心の裏側を垣間見せてくれる。
それこそがキャラクター自身が歌う楽曲というものが存在する意味であり、キャラクターの光と影を余すことなく表現できるソロアルバムという形で発表された意味があるのだと、確信しています。
20年以上テニスアイドルとしてテニプリの頂点に立ち続ける「越前リョーマ」というキャラに対する、こういう解釈の仕方、視点の持ち方にご不満のある方も多いかも知れません。
さらに、原作者である許斐先生の手から離れたキャラソンの1曲1曲を考察をしていくことに意味があるのか、と聞かれたら意味はないのかもしれない。異論反論ある方も多数おられるかもしれませんが、これも私の推し愛・個人的な考察のひとつの形ということで、記録することをお許しいただけると嬉しいです。
(思索の道はもう少し続きます)
推し活の視点について考えてみた記事↓
前回の考察はこちら