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子育て(後編)

(前編・中編)を読み返してみて、願いが叶って「子育て」をさせてもらえることになり、それがどれほど嬉しかったを繰り返し言葉を変えながら書いているに過ぎないことに気づいた。その伏線としては、水を得た魚のようだわ~と気持ち良く仕事をしていた若かりし日々、紆余曲折ありながらも3度婚約2度結婚(すなわち破局したり離婚したりもするわけだが☜わざわざ言わなくてもよい!)し、取り組みたかった分野の会社を作り、そこでの仕事にもやりがいを感じて一生懸命だった、と言えるが、そこには、私が生まれて来たのはこのためだったのだ、というものは無かったように思う。

何のために生まれて来たのか、という問いに対し、真っ先に出てくる答えは、「この人を育てるために」だ。そこに子育てコンサルタントや、子育て先輩や子育てコミュニティー、なんでもよいが、どうすれば良く育つか論は、一切関係ない。この人は、そのほかのどの人とも違うからだ。強い人間に育ってくれればいい。自分の足で立って、力強く歩んでいって欲しい、それだけを基準に、この新しい人がひとり立ちする日まで併走してよいとは、なんとも有難い!というような心持ちだ。

言うまでもなく、わが子が特別だと言っているのではない。どの子もひとりひとり全く違って、持って生まれたDNAや、生まれ落ちた環境、そしてそれ以上に「育てる人」が「どう育てるか」は別々なのだから、ということだ。この人を育てる機会をもらったのだから、どう育てて欲しいとお望みかは分からないので、私が考えます、という話だ。

などと言うと、まるで強くしっかりした子だったので、大変育てやすく、順調に成長しましたとさー、のようであるが、そうではなかった。☜断言。例えば、自分が寝転がっていると気づいたあの人は、まだ一人では転がってしまうのに、座っていたい。座れるようになると、立ちたい。立たせると、歩きたい。どれもまだ自分では出来ないことに、どう見ても、いつもイライラしていて不機嫌だった。とにかく、いろんなことが不満のような顔をしていて、「育てる人」のはずが、単なる「お世話係り」となり果てた母親は、想像力をフル回転して、その人に、できた!という満足感を持たせて、笑顔が見たいと願う毎日だった。

出来ないことに挑戦させて、強くしたい、というよりは、やりたいと思うことをやらせて機嫌よくいて欲しい、と思うほどに、強い何かを持っていた。自分がそうと思わないことはテコでも動かない頑固さや、嫌だということを示す反発の力も、、、期待以上の強さだった。。。嗚呼、強い子でありますように、なんて祈り続けたのがいけなかった~、と夜な夜な泣くほどに。☜これ本当。

習い事、幼稚園や学校の行事、人付き合い、どの場面でも、親が言うのだからやりなさい、先生の言う通りに、というような一筋縄ではいかなかった。なんで?やりたくない。あなたがやりたいと言ったから始めたのでしょう?と言えば、その時はそう思ったけれども、やってみてやりたくないことがわかったから、やりたくない、という始末。親らしく、まあそれでも続けていると、そうそう「継続は力なり」と言うでしょう、やっていてよかったな、という日が来るよ、などと言いながら、続けたこともあったが、今となっては、それらはほとんど意味が無かったとさえ思える。

自我の芽生えは1-3歳、とよく言われるが、そこからずっと自我の塊。となれば、「好きなようにやれ」が一番いいのでは?となる。では、育てる人は、何をすればいいのか?そうは言っても相手はまだ子ども。「好きなように」できるように整える、まあ、私が出来る限りの範囲で、と考えることにした。こんなことがしてみたい、こういうことが出来るようになりたい、と言えば、その可能性が高まる場所に身を置くことができるようにしようと。迷ったらやらないより、やってから考える式で、大人では考えられないスピードで育ってしまう相手に負けないスピードで考えながら、一緒に走った。

夏休みで旅行していた国の学校に行ってみたいという言葉を信じて、数週間後にはその学校の入学式に立たせ、ホテルから通学させながら家を探した。3年半後、日本の勉強をするために帰国する、ってそれはいいけれども、言いだすの遅いしー、と言いながら、日本の小学校を卒業していない子どもが通える学校を探してなんとか受験。桜の木の下でセーラー服姿を見て、衣が変われば別人に見えるなあ、と思ったのも束の間、中高(大)一貫校だけど早くあの国に留学したくなった、と言えば、自分で行きたい学校を見つけてきたらそこに行けばよい、と言い(言ってしまってから、親は大変だ~、と気づく☜遅い)見送った。あれから2年が経ち、今は、大学のことを真剣に考えている、らしいー。いっそがしいな、もう!と言いたいが、大して相談されるわけでもなく、正直なところ、私は忙しくない。

結局、育てる人、になったと思って張り切っていた私は、ただその強い人に併走させてもらっただけかもしれない。今も、海を隔ててはいるけれども、併走しているつもりだ。そして、これをするために私は生まれて来たのだと信じている。

あと少しー子育てはつづく。



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