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留学⇒客観視

留学って、なんで留学というの?と思い続けて、早ン十年。そこに留まって学ぶ?なんとなく、わざわざ外に出て行って勉強してくるのにそぐわないな。と思いながら。自分の出身地から離れた場所・国にしばらく留まって勉強すること、なのだろうけれども。それはさておき、何のために留学するのか?

日本人目線で考えると、古くは、海によって地政学的に隔たれていて、外交や通商の扉が閉ざされていた先進国に優秀な人材を送り出し、社会情勢や仕組み、工業技術や学問などの見聞広め、技術や知識を深めてこさせようというのが始まりか。その後も、自国では得られない学問領域の探究を深めるために、先人たる教授のいる国に行く、学者、学生が続いた。そして、時代が下ってくると、短期間の留学で、要は手っ取り早く語学だけを習得するために行かせよう、行って来よう、ということも留学と呼ばれるようになった。

その低年齢化は進み、中学・高校生が学校の長期休暇中に海外でホームステイを経験し、その国の日常生活を垣間見る機会を得ることで、文化的相互理解に関心を持つきっかけを作ろうということあたりも、短期留学のカテゴリーに入ってきた。1ドル360円時代に苦労して海外での長期滞在をしていた人たちから言わせると、随分と簡単に海外留学が出来るようになったものだということになるが、その分裾野が広がったことは、日本という国が、アメリカ以外の外国を知る、自国やそこにいる人たちを外から見てみる必要があるという当たり前のことの入り口に立つことには役だったように思う。

さて、本題。そういった広義での留学が与えてくれるものの一つに、自国で待つ家族との「距離」「時間」がある。もちろん、留学先で知り合って深まる友だちや先生、ホームステイ先との関係など、学問とは別に得るものがあるのだが、それは今回は置いておくことにする。距離と時間の隔たりが与えてくれるものは、「孤独」だろう。孤独になって初めて、今までは一緒にいるのが当たり前だった家族のことも客観的に見たり考えたりすることになる。

留学先から帰国して2カ月間の夏休みを日本で過ごした娘が、再び出発する日に書いてくれた手紙が部屋に置いてあった。この夏休みは、今まで自分が知らなかったママのことを知る機会になった、と書かれていた。これまで思っていたのと大分違うことがわかった、とも。むむむ、どんなことだろうか?と悶々。その後、留学先の寮に戻ってから、一度電話をくれた。家族って、お互いのことを誰よりもよく知っているように思っているけれども、そうでもない、っていうの、本当にそうだなと思ったよ、と。そこで、どんな人だと思っていたのか、今はどんなことが分かったのかきかせて欲しいと頼んだ。

当たり前だが、16歳の娘と過ごした16年間よりも、私の人生は彼女に出会う前の34年間の方が断然長い。さらに16年とは言っても、最初の半分の記憶はほとんど無いだろうし、その後も子どもの彼女に見えていた部分と、大人であり親である私の感じたり考えたりしていることは必ずしも一致していなかっただろう。このことに「気づいた」彼女に驚いた。夏休み中、高校生になった彼女と一緒に、私の高校時代のアルバムを見ながら、あのときはこうだった、こんなことが好きだった、この人とこの人は仲良しで、こちらは嫌い合っていて、この人たちは付き合っていたんだ、というような話をしたり、自分はどういう立ち位置だった(と思っていた)とか、その頃、将来のことなんてなーんにも考えていなかった、といったことも話した。

他人や自分をも徐々に、客観的に見られるようになってきた彼女が、母である私を客観視して、昔はこう思っていたけれども、今はこう見ている、ということを話すために電話をしてきてくれたことが嬉しかった。やった選ばれた!という気持ちになった。50分以上話を聴いた。その中で、ただ仕事が好きでそれが一番大事な人なのかと思っていたが、子どもが欲しいと思っていたって知って、へえと思った、というのも、そんな大切なことすら、こちらの気持ち通りには伝わっていないものだったのだな、とかなりのショックとともに聞いた。うちの母の子どもとの関わり方はかなり独特ではあるけれども、どういう考えがあってそうしているかは、段々わかってきたし、結局、母性が強い人なんだな、とわかってきた、というのも新鮮だった。自分でも、言われてみて、そうなのかな?と考えてみるきっかけになった。

一番嬉しかったことは、それが本当かどうかは私にはわからないことではあるけれども、彼女がそう見てくれているならばそれで十分、というものだった。忘れてしまいたくないので、ここに書いておく。もともと小さい頃から彼女は、私が、社交的で誰とでもうまく合わせて仲良くやって楽しそうにしている人だな、と思っていたそうだ。しかし、最近になって分かったことがある、と。彼女が最近まで知らなかった過去の色んな場面においても、そして彼女が見て来た場面でも、母は、単にその時に相手や周りに合わせ上手くやっているのではないのだということ、寧ろ、その場に合わせてしまうこと無く、必ず「私ここにあり」という自分ならではの軌跡を残している人だな、と思ったよ、と。

いみじくも、このnoteに書き残しておこうと思った私の過去の出来事や思いを読んで、その先の未来を今生きている私を見ながら、そう思うに至ったと話してくれたのだった。noteにも感謝だな。見てて!母は、これからも軌跡を残して生きていくよ。

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