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#2-1 親友、心友、信友、??

こんばんは、yuka. です。
#1を見てくださった皆様、ありがとうございます!
こんなにすぐに読んでいただけると思っていなくて、
とても驚きましたが、拙い文章ながら評価して頂けて嬉しいです。
これからもよろしくお願いします!

さて今日は、私の友達観について書いていきたいと思います。恋愛と同じで永遠のテーマだと思っているのですが、友達の定義とはいったい何なのでしょう。

私は割と初対面でも人見知りせず会話ができる方だと思っていて、1度他愛ない話、雑談をしたら友達だと考えるタイプです。もちろん、自分なりの曖昧なラインはあるのですが、、
現代はSNSが発達しているため、
大学でもよく「インスタやってる??」という言葉が聴こえますし、私自身、LINEよりもまずはInstagramを交換します。
大学ともなると、少なからず身の危険を感じるような人もいます。そのため私は自己防衛の面からも、この行為は良いと思っています。SNS世代だからこそできることでもあるのではないでしょうか。

では、「SNSの繋がりがなければ友達ではないのか?」
と聞かれると、そうは思いません。繋がっていなくても友達と思える人はいるし、そのことが友達である要件ではないと思います。ただ、この時代で連絡をとる手段としても必要であり、仲の良さを維持するにはあった方がいいとは言えるかもしれません。

タイトルの親友、心友、信友とはどのようなものでしょうか。
ここでは正しい意味ではなく、私の感覚で話させて頂きます。

“親友”は親しい友と書きますが、親しくても秘密がある人もいるのではないでしょうか。自分の全てを話す必要はないでしょうし、強制もできないのだから、隠し事というか、言っていないことがあっても私は良いと思っています。

実際、高校の時にできた友達2人が私にとっての親友ですが、彼女らは性格が全然違っています。そのため、1人には話して、もう1人には言えていないことがあります。でもそれを話すと人格というか感性を否定されそうなため、この先も言わないと思います。隠しているせいで関係が悪くなることはないので、特に問題はありません。

自分の心の中の何重にもある扉をどこまで開くか、それを人によって変えることは決して悪いとは思いません。正当化してしまうと、自分でコントロールしているからこそ仲良くいられるのだと思います。
本当の自分をわかって貰えないのではなく、素の自分のうちの一部はわかって貰えなくても私の場合は大丈夫なので、今のままで充分に本当の自分を出せているし、窮屈なことはありません。
親友だからといって全て同じ感覚なはずはなく、
違うところを受け入れられることが理想形かもしれませんが、そんなに上手くはいかないよなぁと今は思っています。

大学でもまた出会いに恵まれ、とても感覚の近い、
一緒にいて楽な、親友と呼べるかもしれない人ができました。自分を偽らず、愛想笑いをしなくても良くて、本音で話せて、お互いがスマホを触っている無言の時間があっても平気な、こういう人が私にとっての親友なのだと思います。

長くなってしまったので、
今回は“親友”の話で終わります。
次回、“心友”と“信友”の話をしたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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