【小説】五反田のクラブで
その、場末のクラブで働き始めてから、1年半は優に経っていた。
歯に矯正器具を付けていることを理由に、何軒かの店に断られて、辿り着いた五反田の雑居ビルの5階。
「え??矯正してるのってなんか問題なの?いいじゃんあんた。かわいらしいし。じゃ、来週からよろしく。」と言ったママの気風の良さに惚れこんで、長々と居着いてしまった。
場末、とは言ってもママの指に光るダイヤはぎらぎらと大きかったし、
たまに女の子たちに振舞ってくれるお菓子やお惣菜は高級でセンスのいいものだった。
「こいつさー、ずっと彼女いないんだよね。今度デートでもしてあげてくんない??」
背広にシワが入り、不精髭を生やしたサラリーマンAが私に話しかける。
彼らにとって、仕事の次に大事なのは飲みの場で、「自分は面白いやつだ!」と高々と周りに知らしめることなのかもしれない。髭を剃るよりも。
サラリーマンBは、何度か帰りに送ってもらったことはあるものの、いかにもさえない(もっと言うと、うだつの上がりそうにない)、でもよく見るとところどころにお洒落さの分かるサブカル系男性だった。
Bは、デートでもしてあげてくんない、という言葉になんとなくまんざらでも無さそうで、オススメのカレー屋があるんだけどさーって言いながらスマホの写真フォルダをスクロールし始めた。
一応お仕事だから、と彼の言葉に集中しようとしたけど、ダメだった。
電車の窓を通り過ぎていくがちゃがちゃした色の広告みたいに、
脳が必要ないって、そんな信号を出してしまうのだろう。
あー、やっぱり今日はなんかだめだ。愛想笑いをくっつけて、気の利いたことも言えずに、水滴がライトできらきらと光る、ほとんど水みたいなハイボールを呷って時間を経つのをただただ待っていた。
あの人じゃないとだめだ、と思う人がいると、こういう仕事に身が入らなくなるとはよく知られた話だけど、私の場合はなんとなくそうではない。
22歳になって気づいたのは、私は男でも女でも、何か哲学的な深みが無ければその人に惹かれないのだ。
深いポリシーを持って何かを愛でたり、人が当たり前に考えていることに疑問を持つ。そんな哲学がある人にしか興味が持てないでいる。
ぼんやりそんなことを考えていたら、肘が当たって灰皿を落としてしまった。「わっ!ごめんなさい!」「何やってんだよお嬢ちゃん!」サラリーマンAが言う。
ため息をつきながら裏に下がると、タバコの煙を吐くママがいた。
すれ違いざま、
「いいのよあんたは、そのままで。あんたがテキパキ仕事なんかできるようになったら、あんたのいいところもなくなっちゃうんだよ。」
気だるそうにそう言って、タバコの先を灰皿に潰した。
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