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【東京回顧録#2】新宿・たのめーる大塚商会の看板

JR新宿駅東口から見える、「たのめーる 大塚商会」の看板。緑色の犬が買い物カートを押しているロゴでおなじみだろう。あの看板を見ると、今でも無性に心が躍り、そして浮ついた、それでいてどうしようもなくワクワクした気持ちになる。

大学2年の頃。
「大学生」という大義名分を手に入れ、学ぶため、それは学問のことを指すわけではなく、「社会勉強のために」上京し親の仕送りで一人暮らしをして学校に通い、アルバイトでお小遣い稼ぎをして、そのお金でやたらと故郷の田舎では楽しめなかったような買い物をし、暇さえあれば飲み会をして仲間と集まっては騒いでいた。
今思えば、本当に「いいご身分」だったと思う。

当時頻繁に集まっていた仲間といえば、サークル関係で知り合った仲間だった。中学まで油絵を習っていたこともあり、絵をもう一度ちゃんとやりたい、と思い、学内でも歴史のある芸術系のサークルに入会した。一応それなりに創作活動はやっていたものの、アトリエで行われる食事会や飲み会の方に勤しんでいたのも事実である。そんなサークルの一員という立場に慣れてきた大学1年の終わりに、次年度以降の役職決めがあった。マンモス系の私立大学に入ったものの、いまいち自分の交友関係が広がらないことに悩んでいたわたしは他大学と協力して展覧会を行ったり、大学祭に行って交流を深めたりする「渉外係」を買って出た。

大学1年の終わりに「100人飲み」と言われる飲み会があった。名前だけ聞くと、なんて安易なネーミングセンスなんだろうと笑ってしまいそうになるが、首都圏のあらゆる大学の芸術系サークルの渉外係の1-2年生が集まって、飲み会をするものだった。「仕事だから」、「役職だから」、飲み会に行く。まさしく大義名分で、何か良い出会いがないか…と、実際にはそんな気持ちもあった。そのうちに、親しくなった同期数名で飲むようになり、「季節の会」というLINEグループで、展覧会の予定すらないのに、飲み会だけをするようになった。場所は決まって新宿駅。都内の様々な場所の大学から来るのに、最もアクセスがいい場所だった。

どうして、大学時代の飲み会が、あんなに頻繁に開催するほど、そして時にはバイトを休んでまで参加するほど楽しく思えていたのか?
今思えば、ただ内容の無い会話をして、安い居酒屋の食事をつまみ、美味しくもないお酒を飲んで、下品な話で騒いでいただけなのに。

それは、やはりわたしたちが「いいご身分」だったからだろう。
誰かに対する責任もなければ、気にすべき責務もない。役職だから、といって飲み会に勤しんでいるだけの大学生。私たちはまだ「何者」でもないのだ。だから、何だって言える。現在の自分に対しても、未来の自分に対しても、責任なんて何もないのだから。「あのアーティストが好き」「こういう生活をしている(他人のおかげで)」「将来はこう暮らしたい」ーそこに責任の発生する会話など何一つなく、全て言いっぱなしで構わない。
好きなものを消費すること。
パートタイムで雇われること。
親からの仕送りで生活すること。
目の前で行われる授業を受けること。
形式の決まったレポートを出すこと。
先輩のいうとおりにサークルを運営すること。
全てレールに敷かれた生活。そんな生活を送りながらしかし、「なりたい自分」についてはいくらでも語ることができる。

そんなうわついた職務に対して、当然「サークルのために」という気持ちのみで動いているはずもなく、意中の人がその「季節の会」にいたのだった。
JR山手線品川駅を最寄り駅としていた自分は、JR山手線目黒駅を帰路の乗り換えに使う彼とは、新宿駅から帰ろうとすれば、山手線を使うのはわたしたちだけなこともあって、二人で話すことができる。彼は、理系の単科大学に通っていて、わたしの知らないこと、しらない知識をたくさん持っていた。田舎から上京したわたしとはちがって、東京で過ごした幼少期から、高校時代まで、という、わたしがあこがれるような、しらない経験をたくさん持っていた。だから彼との少しだけの電車での時間と会話は、しらない世界をのぞいているようで、魅力的だった。

歌舞伎町の飲み屋から、解散して皆で新宿駅で向かう。
大塚商会のたのめーるの看板が見えると、彼と二人で帰ることができる、と心が躍る気持ちになった。大きな建物が鬱蒼と広がっていて、高いビルも、近くまで来ないと目に入らない。歌舞伎町の奥から、新宿駅へと繋がる横断歩道までたどり着いてやっと、その看板は見えてくる。きまって、JR新宿駅東口の喫煙所で、喫煙者たちがタバコを吸いたいと言い始める。彼も私も喫煙者ではないので、その外で少し待つ。そのタイミングで、二人だけの会話は始まる。

そんな流れを繰り返すことで、お互いへの意識が強くなったのか、結局わたしたちは付き合うことになる。そうなったからには、もうたのめーるの看板を見て、心躍る気持ちも必要なくなった。お互いの気持ちがあるのだから、もうそれで充分だ。恋愛は付き合い始めるまでが一番楽しい、というが、まさにそうかもしれない。付き合い始めるまでは存在した、「たかだか大きな看板を見てワクワクする気持ち」が関係が成就することによって、失われるのだから。

役職も引退し、わたしたちの「いいご身分」が終わる頃、わたしたちは別れることになった。自分の人生に対し、責任が発生したからである。進学するか、就職するか、親からの仕送りも無限ではないことなど、いろいろと迷っていた私には、したり顔で知識を教えてくれる彼も、親の買った家に住み、何よりも土地があり、母親のご飯を毎日食べているという事実に辟易した。もちろん彼からすればわたしだって、「いいご身分」だったに決まっているが。そんな生活の終わりが、わたしたちの関係の終わりだった。

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