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【小説】眠れぬ夜のカップ麺

その日のお客は、品もあって気前もいい、関西弁の団体客だった。

「こいつなあ、いつまで経っても彼女できへんねん。もう30やから、俺も心配しとんねん。」と幹部らしき人が言う。
いや、ほっといたれよ、とその幹部の水割りをつくりながら、心の中でつぶやく。
この時代のひとたち。血縁を各共同体の中で絶対としているわけで、彼女ができないことが人との原初的な繋がりが皆無になってしまうような、そういう何かなんだよな。そうやって、頭の中でとりあえずの納得へ持っていこうとしたけれど、いや、でもあるいはそれは、本当にそうなのかもしれない。彼らがいかに家の中で何もしないでいることを、それを自慢のように、どれだけ今まで女の子と付き合ったかを自慢する同世代の男の子たちと何も変わらないトーンで話すことを、ダサ、と思うけれど。

若いうちは、孤独なんて、少しのことで晴れてしまうような一時的な状態のように思っている。歳を取ると、孤独という状態ですら取り返しのつかないものになってしまうのかもしれない。
老いてから、人肌恋しくなってしまったとき、そしてある意味とっても排他的な「家庭」を持った人しか周囲にいなくなったとき、一体人間はどうしたらいいのだろう。それでもまだ、偶発的な出会いが我々の感傷性を癒してでもくれるのだろうか。
溜息をつく。
今夜のお客さんは、すきだ。土日は行列ができている美味しい、でも甘すぎないチョコレート屋さんの、カシスの入ったチョコレートケーキ、アロマのいい匂いのする消毒液、上品な味で野菜にかけるとなんでも美味しくなってしまうポン酢をもらった。物をくれる人が好きなのか?この仕事は、座って、お酒を飲んで、笑ってしゃべってればいいだけのはずなのに、家に帰るとどっと疲れてしまっている。お給料と、そういう少しの「しあわせ」がないとやってられない。ましてや、いじわるなことを言われたりしたときには。「そういうふうにしか、感情をあらわせないひと」というのは甘えじゃないだろうか?

「今日さ、うち泊まんない?」って、ママが言う。
「え…。」
少し面倒に思った。泊まるってなると、お風呂とか、寝る場所とか、いろいろ気も遣うしなかなか人の家に(しかも突然)泊まるというのは、ハードルが高い。
「いいじゃん、映画とか見ようよ。実は、プロジェクター買ったんだよね。すっごい大きいの!」
営業後はいつも、酔いと疲れでまったく頭が働かなくなる。どうしてかは分からないけれど、勉強した後、学会に出た後、論文を書き進めた後、よりもかなり疲れる。あまり難しいことが考えられなくなって、自分の意思すらもあくびに飲み込まれてしまう。人に気を遣うとは、そのくらい気力を奪うものなのか、単にこの仕事がなかなか自分に向いていないだけなのか。

気付いたら、ママと同じタクシーに乗っていた。
この時間に電車で20分ほどかかる、周囲の治安はあまりよくない自分の家に帰るのも億劫だった。
もう一度言うけれど、今日のお客はいい人たちだった。いやな飲み方をしない。それでもこんなにも疲れるのだ。
彼らは、いやなことを言わない。女の子の好きなもの、お昼の時間に頑張っていること、家族、友達。そういう領域を悪く言ったりしない。この仕事は常に「さらされ」る仕事だ。「さらされ」。そうしてだんだん、「さらされ」ないように、違う顔を造り始める。素じゃない、それ。
「運転手さんも、なんかいる?」
ママが張りのある、少しどすのきいた声できく。
「うーん、じゃあ、コーヒーの冷たいやつ、砂糖入ってないやつで。」
「りょうかーい。」
夜中のコンビニ。入ると少し生ぬるい空気が冷えた顔を覆う。食べ物が大量にある、都会の食糧庫のはずなのに、食べ物のにおいはしなくて、微かなプラスチックのにおいが鼻をかすめる。
「なんか食べたいやつある?」とママが、カップ麺のコーナーの前で、立ち止まって聞く。一風堂のやつ食べたいんやけどなー、でかいよなーって、聞いてくれたのに、ひとりごとのように答えてしまった。
「そうねえ」
「あ、でもこれ好き。」カップヌードルのトマトチリを指して言った。
「わたしも!これ美味しいよねー。」
ママはトマトチリを2つ手に取って、わたしのお泊りに必要な品々と共にレジにもっていく。一応、雇用主と従業員なんだけれど、そんな堅苦しい空気はハタチで働き始めてから数年、あっさりと消えていた。

ママは運転手さんに缶コーヒーを渡す。「まあ、ここまで乗り切れたなら、大丈夫よ。」と運転手さんに言う。
なんかいい話をしている風だったけれど、そこまでの会話の流れを聞き逃してしまっていた。
ママは、面倒見がいい。気も遣えるし、経営の腕もある人なんだと思う。
天職、
なんだろうな。

ママの家は、片付きすぎていた。両親ともに片付けが苦手で、実家も雑然としている、1人暮らしの家もなかなかに物が溢れている私は、頭上につっかえ棒みたいな棚があったり、大量の収納ケースがテレビ台に入っているのを見て少しだけ、面食らう。だけど、ママの家は不思議と居心地がよかった。たいてい初めて行く人の家は落ち着かないのだけれど。

お風呂に入らせてもらって、座ったこともないような、大きなソファに腰掛ける。
「これさ、ここ押すと、うぃーんって動くんだよね!」
ソファの背もたれの倒し方を教えてもらったけれど、そのままでも別に構わないと思ってしまうほど、とにかく、疲れていた。

前衛的な、とにかく間の長い邦画を見ながら、ママはカップ麺をあたためてくれた。

酸っぱいような、スパイシーなあの味が、どうにもこうにも疲れて、矛盾だらけで、そんな自分が嫌いで、否定したい、消えてしまいたい、逃げたい…そんな心を少しだけ癒したんだ。

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