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コーヒーとメタ認知

1日1回コーヒーをいれる。

ベンチャー時代にコーヒー好きのエンジニアに気づかされ、
今でも続けていること。

僕が働いていた会社では、自分でコーヒーをドリップする文化があった。
そこで僕はコーヒーが好きになった。
ある時から重めのプロジェクトが始まりコーヒーを淹れなくなった。

しばらくして、最近作りに来ないですねと言われ、
忙しくて、、、と伝えたら
たかが5分ですよ? 本当にないですか? と返答された。

確かに。冷静に考えればコーヒーなんて時計で測ればたった5分。
それなのに、忙しい。今日もパツパツだ。
コーヒーなんて作れない。なんでそんな忙しいんだ。なんて思う。

だから毎日作ろう!と言いたいわけではない。

僕らはすぐ、感覚的な時間に支配される。
時間は絶対的なものと相対的な捉え方がある。
心は常に相対である。と思う。

疲弊しているとき、時間は少ないと感じる。
楽しいとき、時間は少ないと感じる。
つまらないとき、時間は長く感じる。
落ち着いてるとき、時間はゆっくり流れる。

相対時間は対象によって膨らんだり縮んだりする。

コーヒーをいれる作業。5分間。
これを毎日することで、心の状態を認知できる。

今日は良さそうだな。ちょっと長めにブレインワークをしてみるか。
今日はまずそうだ。オペレーションワークをして早めに切り上げよう。

そうやって、毎日できる限り客観的に自分の行動を決めたらいいんだ。
当時僕は27歳。朝まで会社に残る働き盛り。
それでも、安定して過ごせたのはこの気づきがあったからだと思う。

この感覚がわかると、優しくなれる。

コーヒー作る5分があるなら私のレポート見てよ!
ではない。

コーヒーの5分とレポートの5分は、同じ時間であって同じじゃない。
対話するとき、他人を見るとき、僕らは絶対的なもので比べる。

でも本当に大事なことは、相対的なもの。

そう思うと、時計という発明は素晴らしいものである一方で、
分かりやすい絶対的なものを作ってしまったがために大切な感覚を
失うきっかけにもなっているような・・・

なんて思いながら、今でもコーヒーを入れています

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