白野歌集『もっともきれいなふたり』を読む


ラッパー・KZmの楽曲に

Teenage vibe ずっと持ってる
Do it
Let's do it
Yeah 俺らもいつか星になってく
知らね I don't care
Yeah we got a new wave
まじくだらねえ

というフックがある。「知らね」「まじくだらねえ」と自己を内包する世界を一蹴し、吹けば消えそうな「ティーン」をヒップホップ的に解釈している。

しかし僕はこの「Teenage vibe ずっと持ってる」いうフレーズに、ちょっとした矛盾を感じてしまう。

「Teenage vibe」を「10代の頃の気持ち・感覚」と定義してみる。それはさまざまに形容できるが、おそらくそのほとんどが、10代の頃に自分の中にあることを意識しづらいものだったように思う。

つまり、「Teenage vibe」とは、「10代の頃には認識する余裕もないままに突っ走って来たが、ティーンを終えて10代を振り返ったときに、自我を取り巻いていたことに気づくような気概」だと言い換えられるのではないだろうか。
「Teenage vibe」という名詞は、10代を終えることで初めて本質的に使えるようになる言葉なのだ。

何が言いたいかというと、「Teenage vibe ずっと持ってる」は、「Teenage vibe (10代を終えた頃からは、意識的に)ずっと持ってる(と思うようにしている)」と言い換えられるよね、ということである。

それでもその負い目を恐れる事なくビートに乗せるのはKZmのある種の強さだと思うし、だからこそこの曲自体はけっこう好きだ。

目を背けたくなるほどの「若さ」

さて、本題に入ろうと思う。
もっともきれいなふたり』は、2021年4月9日にBooth上で販売された白野
( @zz_ef21 ) の私家版第一歌集である。

個人的に縁がある白野さんが歌集を出すとのことで、一冊購入した。(なんと250円である。お得。)
小さな歌集なので多く引用することは控えるが、許可をいただいたので幾つか引用しながら読んでいこうと思う。
以後、ページ数を付記したものは歌集からの引用である。

皮膚だけをあたためるから電気ストーブはにんげんと同じくらいすき (p.2)

読み進めると、まばゆいほどの「若さ」にあてられてクラクラしてしまう。それは時に痛みであり、熱であり、甘さであった。
自己と社会との物理的な接点たる皮膚を焼く無機質な電気ストーブの放射熱すら、すがるべき光になり得る。

標本に三ツ矢サイダーこぼしたら三ツ矢サイダーの味がする蝶(p.4)

この歌集で一番好きな歌である。大胆にも音数の約50%が「三ツ矢サイダー」で占められていることにも驚きだが、最も面白いのはサイダーが付着した蝶(の死骸)を舐めているところだと思う。好きな詩ほど語るのが難しい。

夏と冬みたいな僕らあの川でいっしょに春になったりもした(p.7)

この歌集には、モチーフとしての季節(特に春)がたびたび現れる。青春性の表出としてはあまりに使い古された季節だが、それでもそこに残るひとかけらの叙情を掬い取ろうとする試みか。

ストーブの熱が飽和する部屋にこの世でもっともきれいなふたり(p.12)

表題歌である。他者にとっては単なる風景の一部でしかない二人の空間が、過剰なまでの熱と修飾によって作品化している。

また今日もやけに正しい春である きみのからだに桜を植えたい(p.18)

この歌に言及している読者は多かった。テンプレート化された春の最たる象徴ともいえる桜を植え付けるという、ある種の束縛とも言える行為。桜が接ぎ木によって殖える植物であることを、否応なしに意識させられる。


時には痛みを感じるほどの、鋭くもやわらかい若さにあふれた歌集であった。10代をやり直したくなるような、でも10代の苦さも同時に思い出させられるような気持ちになった。





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