12年前の自分に会ってみたら 第17回 月刊中山祐次郎
(過去に書いたエッセイです)
新幹線に乗り遅れ、指定券が無いため車両と車両のあいだに立つ。盛岡から仙台はそれほど遠く無い。ふと窓の外に目をやると、緑の山々が途切れてトンネルに入った。そこには37歳の、2日髭を剃っていない汗だくの男が居た。
窓に映る自分を見たのはいつ振りだろうか。
※ ※ ※
12年前、2005年。医学部5年生だった僕は、東京は山手線の中でも最もマイナーな田端駅前の、JRのホテルに泊まっていた。東京都内のはずなのに、当時住んでいた鹿児島より遥かに田舎で、駅前にはパチンコ屋とマクドナルドしかなかった。僕はある病院の採用試験のために、上京したのだった。当時は激しく人気のある研修病院で、倍率は実に10倍を超えていた。2倍ならなんとかなる、5倍位だとかなり頑張ってやっとかもしれない、しかし10倍となるともう普通にやったら絶対に受からない。コネも頭脳も無い僕には「変人枠」で合格するしか道はなかった(当時、有名研修病院は部長の息子など、コネ合格だらけだった)。
医学部の成績が良いわけではない。部活はサッカーを6年間やったが、優勝した訳でも無くキャプテンでもない。わずかに持つ自分の「売り」としては、大学祭の実行委員長をやったくらいだ。病院の試験は口頭試問と面接からなり、噂ではそのどちらにもきっちり点数をつけているという。
口頭試問は難しい。
「がんとは、何ですか」
「炎症とは、何ですか」
こんな本質的な質問。
今なら各々詳しく説明できるけれど、当時は全く話すことが出来なかった。僕はサッカー部でグラウンドに週5回立っていたから、勉強はまだしていなかった。しかしそんな本質的な問題を出すその病院を、ますます気に入った。
仕方なく、面接で奇策に出ることにした。憶えて貰えなければ、合格は出来ない。
趣味は、と聞かれた。
「読書です」
「最近読んだ本は?」
「ヘーゲルです。ヘーゲルの哲学入門」
一瞬にして面接室を沈黙が支配する。
チャンスだ、と思った。ここだ。今だ。
「原書に当たることが大事だと思ったからです。でも、1ページ読むのに2時間かかりました」
そういうと、面接官たる医師たちは嬉しそうにどっと笑った。読んでいたのは本当だし、2時間かかったのも本当だった。
25歳の、社会も何も知らぬ若造の浅はかな策だ。そこに本質はない。しかし、手応えはあった。
その日の夜、ホテルに戻りレストランに行った。薄暗い部屋の、窓際に座った。上気した頭のせいで、食欲はなかった。酒だけを頼み、口をつけふと窓に目をやった。そこには着慣れぬスーツを纏った、25歳の日焼けした男が居た。僕は話しかけた。
おいお前、試験が終わって気を抜いているんじゃない。10年後にまた、窓に映ったお前と会おう。その頃にお前は、どんな男になっているのか。いっぱしの医師になっているか。偉くなっているか。いやそんなことはどうだっていい。
お前は、自分に誠実に生きているか。
迎合するな。自分の生を生きろ。
窓に映った僕は、心配するな、好きにやるよ、と微かに笑った。
※ ※ ※
ごとごとと揺れる新幹線で、窓に映る自分を見た。いっぱしの医師にもなっておらず、偉くなってもいない自分を。
しかし自分に誠実にはまあまあ生きている、気がする。迎合も小盛りでなんとか、自分の小さな生を生きている。
次に窓に映る自分と会うのは何年後だろうか。その日まで、暫しさよなら。
列車は静かに、仙台駅に滑り込んだ。
(2017.7.15)
中山のひとりごと
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