見出し画像

宮崎駿の放つ渾身の矢は我々の心に届いたか?〜「君たちはどう生きるか」所感。

5月12日(日)の夜、尼崎のシアターで宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を観た。これが2度目だ。1度目は、まだ作品に関する情報がほとんど開示されていなかったので、正直、ストーリーの構造がよく分からなかった。しかしそれでも十分に面白い。何だかよく分からないまま感動した。

その後、NHKが7年にわたって宮崎駿を追いかけ、それを80分に編集したドキュメンタリーを見る機会があり、彼がこの映画にかける執念を目の当たりにした。実は作品中の大叔父のモデルは盟友パクさん(高畑勲)であり、独特のキャラクターを持つアオサギはプロデューサーの鈴木敏夫がモデルだということも分かった。(なるほどそう思って見ると、特にアオサギは動きがよく似ている)このドキュメンタリーを見て、もう一度作品を映画館で見たくなったが、すでに関西全域でこの作品を上映しているのは尼崎市の「塚口サンサン劇場」のみ(しかも1日1回)とわかり、慌ててチケットを予約した。

さて今回は出かける前にウィキペデイアで映画のストーリーを頭に入れていたので、前回のように途中で流れがわからなくなることはなく、比較的スムーズに筋を追うことができた。
今回予習できたポイントは、
◉敷地内の石の塔の正体:幕末の頃に宇宙から飛んできた巨大な飛翔体(石)が邸宅の森の中に落下し、これが石殿のような形で忽然と姿を現した。大叔父はこれを隠すために周囲を建物で覆った。映画の終盤、大叔父が登場する場面で空中に浮かぶ巨大な隕石がその飛翔体だと思われる。
◉大叔父の狙い:自分の(石積みの)後継者を血縁者から出したいと願い、その候補となる人物を招き寄せるためにアオサギを現実世界に遣わした。(…とウィキペディアには書いてあるが、それならどうしてアオサギと眞人は最初、敵対関係だったのか?が分からない。大叔父のアバウトな指示を受けて、アオサギがだんだんその気になってきた、というのが真相かもしれない)
◉現実世界と下の世界では、同じ登場人物が異なる姿で存在する。
・お婆さんのキリコ(現実世界)→船乗りの若者(下の世界)
・眞人のお母さんヒサコ(現実世界)→少女ヒミ(下の世界)
◉下の世界が崩壊し、みんなが現実世界に戻ろうとする時、眞人と夏子が開けるドアと、キリコとヒミが開けるドアが異なる。これは、眞人と夏子は、お父さんや婆やたちが二人を探している「現代」に戻るのに対して、キリコとヒミはそれより数十年前の過去に戻ろうとしていたから。

一方で、今回映画を見終わってもなお釈然としない点もいくつか残った。例えば、
・なぜ眞人は自分の頭を石で殴って傷つけたのか?
・なぜ夏子は森の中に失踪したのか?
・なぜ眞人は積極的に夏子を探しに石の塔へ入って行ったのか?
である。

これらの疑問を一括して解決してくれるブログを見つけたので以下に引用します。
https://note.com/matsukirin/n/nf8db7dc631de

一言でいうと「眞人は夏子に恋していた」ということなのだが、この説明は意外に説得力がある、と思う。
・眞人は夏子の注意を引き寄せるために頭を傷つけた。
・眞人は夏子に恋したから、彼女を探しに行った。
・眞人は父親のパートナー(夏子)を奪いたい気持ちがあるので「悪意がある」と感じている。
こう考えると眞人の一連の行動の動機が明確になる。
しかし夏子が森の中に失踪した理由は今でも判然としない。自分の穢れた状態を眞人に見せたくないため、といった「目的」を指摘する解釈が多いと感じるが(眞人と違って)夏子の行動には「目的」はなかったんじゃないかという気がする。つわりで体調が悪くなり、本人が死を意識し始め、苦しんでいたことから、自然と(自分の意思とは無関係に)下の世界に引き摺り込まれた、というのが本当のところではないか、と思う。

さて、この物語は大きく分けて2つの流れがある。
1つは、眞人が夏子を連れ戻しにいく話。
眞人はお母さんと死に別れ、その後、母の妹(夏子)を義母として迎え入れるが、この間、かなりの葛藤があり、夏子もまた(自分になつかない)眞人を深層で嫌悪することになる。しかし(カタシロのような)布で覆われ窒息寸前になる眞人を見て、彼が生きることを願うことで、ギリギリ眞人と心が通じ合うようになる。この両者の心の変貌を描いた点が1つ。

もう1つは、大叔父が眞人に自分の仕事を継がせようとする話だ。
大叔父は最初、眞人の夢の中に出てきた時は、「悪意のある石」を持ち、そのバランスを取ることを一生の仕事としてきた、と語る。
しかし2度目に眞人と会う時には新たなまっさらな石を13個持っており、これは「悪意に晒されていない石」だという。そして眞人にこの石を積み上げることを受け継いでほしいと頼む。しかし眞人は、頭の傷を見せて「この傷は(僕の)悪意に満ちている。なので僕はそのような石に触れる資格がない。僕は現実世界に戻ります」と宣言する。
大叔父は「殺し合い、奪い合う、あの愚かな世界に戻るというのかね?それもまあ良いが、現実世界に戻っても、この石を積み上げることは(私の後継者として)やってほしい」と再度頼む。ところが後ろでこれを聞いていたインコ大王が、「なんという裏切りだ!閣下はこんな石ころに帝国の運命を預けるおつもりか!」と叫んで、この13個の石を積み上げた挙句、上から剣で真っ二つに打ち砕いてしまう。その瞬間、宙に浮いた巨大隕石は爆発し、下の世界全体が崩壊し、大叔父はその爆風に飲み込まれてしまう。
このインコ大王は、近代社会に登場した様々な独裁者(例えばプーチン)を連想させる。宮崎がこの作品の最後の場面を構想している間に、ウクライナ侵攻が起こった。この事態はやはり作品に影響を与えているのではないかと思う。

この映画のタイトルに関わってくるのだが、結局、大叔父の切なる願いは(結果として)眞人に受け継がれず、現実世界に戻った眞人本人の記憶からもこの一連の出来事は徐々に消えていく。だとしたら、大叔父のメッセージ(つまりこの映画が訴えたいこと)は誰にも受け継がれずに終わってしまうのか?いやそうではないだろう。まだそこにはこの映画を見た我々「観客」が残っている。宮崎駿はこの大叔父のメッセージを引き継いで、この社会を平和裡に治めるのは、この映画を見た観客である私たち一人一人の決断と行動にかかっている、と言いたかったのではないだろうか。それがこの映画のタイトル「君たちはどう生きるか」の真の意味なのではないか?
僕は映画を見終わってそのことを痛烈に感じましたが、皆さんはどう思われますか?


この記事が参加している募集

#映画感想文

67,817件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?